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店頭では「書棚を扱っていない」


友人が引っ越しをするというので、


インテリアショップに同行した。


色々と世の中移り変わっているなあ、と感じたのは、


「デザイン」などの潮流ではなく、


もう、店頭では「書棚を扱っていない」ことだった。


「棚」は「まだ」売ってるから、それを流用してほしい、とのこと。


数年前に、CDラックはもうカタログにしか載せてない、と、


北欧の組み立て式販売のショップで言われた事があるが、


もう、「本棚」というのは置いていないんだな、と、当たり前のようなことを改めて実感。




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「ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることだ。それ以外のものは広報に過ぎない」(ジョージ・オーウェル)

「ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることだ。それ以外のものは広報に過ぎない」(ジョージ・オーウェル)

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“人に相談しようと内容を整理して説明している途中で解決できちゃうテディベア現象。”

“人に相談しようと内容を整理して説明している途中で解決できちゃうテディベア現象。”

長引いてしまうのは
治療者と相談者の間でパワーゲームが発生している証拠である

治療者がテディベアの役割に徹すれば
解決は早い

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悪夢を抑制する方法あれこれ

セパゾンを1錠、眠前投与

「PTSDに合併した悪夢」などに対して,α1-アンタゴニストのプラゾシン

漢方医療では酸棗仁湯(さんそうにんとう)や桂枝加加竜骨牡蛎湯(けいしかりゅうこつぼれいとう)、柴胡桂枝乾姜湯(さいこけいしかんきょうとう)

甘麦大棗湯や抑肝散

甘麦大棗湯は「不安で起きてしまう人」
抑肝散は「イライラして起きてしまう人」
柴胡加竜骨牡蠣湯は「ちょっとした事にびっくりする人」や「寝ぼけやすい人」

レメロン0.25-0.5錠

第一選択はトラゾドン(レスリン、デジレル)

ラメルテオン(リフレックス)やデュロキセチン(サインバルタ)

虚証なら桂枝加竜骨牡蛎湯、より実や胸脇苦満が有れば、柴胡加竜骨牡蛎湯

テトラミド

悪夢の原因が致死性不整脈だったという症例報告があります

私は抗ヒスタミンで悪夢を見ます。 
アレグラとタリオンでは悪夢を見ませんので、花粉症の時はどちらかを内服しています。 
アレジオンの副作用には悪夢と書いています。

クロナゼパム(ランドセン、リボトリール)はREM睡眠を抑制しますので、夢見が少なくなり、悪夢も見なくなる

「眠れない、悪夢を見る。怖くて目が覚める」など、いや~な夢を見るのは、人格障害圏の方が多いと思ってます。そういう人には抑肝散

ハルシオン→「多夢、魔夢」、アモバン→「悪夢」、またSSRIではパキシル→「異常な夢(悪夢を含む)」

自動車運転をしている患者さんに、薬物療法を行うのであれば、抑肝散が無難

ジェイゾロフト、パキシル、レクサプロ以外の抗うつ薬、全ての抗不安薬・気分安定薬・抗てんかん薬・抗精神病薬は、添付文書の基本的な注意事項に、「眠気,めまい等が起こることがあるので,本剤投与中の患者には,自動車の運転等危険を伴う機械の操作に従事させないよう注意すること」などと太字で強調するなどして記載されています。睡眠薬も、「本剤の影響が翌朝以後に及び、眠気、注意力・集中力・反射運動能力などの低下が起こることがあるので、自動車の運転など危険を伴う機械の操作に従事させないように注意すること。」と記載されています。様々な意見があるようですが、文字通り運転をさせてはいけないという意見が強いようです。 

リボトリールを含めベンゾジアゼピン系の薬物はあまりレム睡眠を抑制しません。一般的にはSSRIや三環系抗うつ薬がレム睡眠抑制作用が強いといわれています。悪夢の心理的要因を解決する方法をとるか、薬物ではレム睡眠を抑制するか、深睡眠を増やすか(デジレルなど)といったところでしょうか。 
高齢になるとレム睡眠行動障害の治療に基づく薬物選択(global standardはリボトリール。ほかビ・シフロール、パキシル、抑肝散など)も検討すべきでしょう。

 テトラミドかデジレルみたいな出来の悪い抗うつ薬でNREM圧を上げてやる 

甘麦だいそうとう

柴胡加竜骨牡蠣湯は睡眠を深くしますが、悪夢の適応ではない

虚実に関係なく桂枝加竜骨牡蠣湯をお勧め

明晰夢lucid dreamingという、夢の中で夢を見ているという自覚を得るような夢がありますが、訓練をするとだんだん夢の内容を自分の思い通りにすることができるようです。不愉快な夢も自分の好きな体験の夢にできるということです。 
訓練の方法は、まず夢日記をつけること。そして、一度早朝に目覚まし時計で目を覚ましたら、すぐに夢日記を枕元に確認し、また眠る。すると、夢を見ることが多く、その時に、夢であることを自覚するように意識する(具体的には私にもよくわかりませんが・・・)、そして目が覚めたら夢日記をつける。これを毎日実践していくと自分の思い通りの良い夢を見れるといった方法です。 


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" 今ではほとんどが蘇生後脳症の遷延性意識障害の患者ばかりになってしまったが、うちの病棟は本来ALSや筋ジストロフィーなどの神経難病の進行で人工呼吸器管理が必要になった人たちのための病棟である。あるとき在宅で介護を受けてきたのだが、肺炎で急激に呼吸状態が悪化し、救急搬送された先で挿管されて人工呼吸器をつけることになった神経難病の患者が転院してきた。身体症状の進行でもうすでに在宅での介護に限界を感じ始めていた家族も、介護の上にさらに人工呼吸器管理が加わるのはもう無理だということで、退院し在宅に戻るのではなく

"
今ではほとんどが蘇生後脳症の遷延性意識障害の患者ばかりになってしまったが、うちの病棟は本来ALSや筋ジストロフィーなどの神経難病の進行で人工呼吸器管理が必要になった人たちのための病棟である。あるとき在宅で介護を受けてきたのだが、肺炎で急激に呼吸状態が悪化し、救急搬送された先で挿管されて人工呼吸器をつけることになった神経難病の患者が転院してきた。身体症状の進行でもうすでに在宅での介護に限界を感じ始めていた家族も、介護の上にさらに人工呼吸器管理が加わるのはもう無理だということで、退院し在宅に戻るのではなく、うちへ転院してくることを選んだのだ。

ある夜、夜勤中に痰の吸引をしていると患者が何か言いたげなので、透明文字盤を使って聞いてみると「いえにかえりたい」と言う。もう人工呼吸器がついてるし、これを外して家に帰るのはちょっと難しいわね、とわたしが言うと「はずしてほしい」「くだ(挿管チューブ)をぬいて」と言う。

「でもそうしたら息ができなくなって止まっちゃうよ、苦しいよ」と言うと

「もうしんでもいい」
「いえでしにたい」

わたしはそれ以上会話を続けることができなかった。患者も以前から呼吸状態悪化の際には気管切開をして人工呼吸器をつける選択をしていたというし、そうなれば在宅介護はもう無理だと家族から話を聞いて納得していたはずである。その時わたしが感じたのは、患者の希望通りにさせてあげたいという気持ちでもなく、どうしても引き止めて説得し生きる気にさせなくてはという気持ちでもなかった。批判を恐れず率直に言えば、なぜ今になってそんなことを、よりによってわたしに?という、もっと正直に言えば「面倒な話を持ち込まれたな」という当惑しかなかった。わたしがただのパート看護師ではなく、もう少し裁量権のある医師だったとしても、この決断はどうにかできる種類のものではなかったし、そんなこと言われても、と当惑するのは同じだったと思う。そしてこうした生死についての決断をいわば巻き込まれたくない「厄介な話」と捉えていた自分に気づいて愕然とした。

そして福島の因業医者に会ったとき、こういうことがあって数日えらくヘコんだという話をしたら「そんなん言われたら俺だってヘコむわ。アホかお前は、そういうときこそすぐ電話なりメールなりしてこいよ」と言うので、30年医者やっててもまだヘコむことがあるのかと少し驚きつつも、本人も人工呼吸器つけて生きていく気でいたんやけど、いざ入院して周りを見たらみんな人工呼吸器のついている蘇生後脳症の患者ばかりで、自分もあんな姿でこの先何年も生きるのかってリアルに実感して怖くなったんかもしれへん、今のままで死ぬ方がましやと思うたんやろなあ、と言うと

「俺は治して帰らすのが仕事で、お前は治りも帰れもしない人をずーと看ていくのが仕事で、立ち位置はまったく逆やけどな、それでも最後の最後に『こんなんなって生きたけど、それも思うてたほど悪いもんでもなかった』って本人や家族がちょっと思ってくれたらええなと思ってるやろ?俺も患者はどうしたって死んでいくもんやけど、やっぱり最後に『あの時先生の治療を受けててよかった』ってちょっと思ってもらえたらええなと思うてやってるのは同じやねん。周りの患者見て『死んだ方がマシ』って思われたってことは自分が提供している仕事を否定されたような気がしたんやろ?そういう気持ちがなかったとは言わせへんよ」

そうだったのかなあ、と思う。患者自身の決断として考える以前に自分のしている仕事への評価の現われと思っていたからわたしはその言葉を受け止められなかったのかもしれない。患者に「死なせてくれ」と言われたことのある医療者は少なくないと思う。そのときわたし達の感じる無力感や傷つきの原因はそれだけではないと思うのだが。

「それにな、本人が死にたいと言うてたところで、はいそうですかーって実際に呼吸器外されて苦しい思いしたら、やっぱり死にたくない、死ぬの怖いって思うもんやで。現に人工呼吸器つけるって決心しててもいざつける段になったら迷うたわけやし。人間ってそういうもんやろ」

彼はアメリカに留学していた頃に、たとえ本人が蘇生や延命処置を希望しないと書面にも残し、家族もそれに同意していたとしても、その「決断」は土壇場の土壇場で簡単に覆るケースががいくらでもある、だから書面をそのまま信じると大変なことがあるぞ教えられたのだという。そうかもしれない、数百人もの死に行く人々とのインタビューを通して、死の受容過程のモデルを提唱した精神科医のキュブラー・ロスですら、自身は死ぬその間際まで自分の負った脳梗塞による左半身麻痺という障害を受け入れることもできず、覚悟していたはずの「死」がなかなか訪れないことにも焦れ、そしてあるときはまた「いまだ死を受け入れることができない」とも嘆き続けていたという。

以前、派遣バイトで行っていた病院(入院患者の実に半数近くが生活保護受給者という病院で、場所柄や実質上の病院オーナーのことなどいろいろな噂もあったせいかとにかく時給だけはべらぼうに良かった)で患者の自殺に当たったというエントリを書いた。そのときは書くのを差し控えたのだが、実際は目撃していたのだ。わたしが窓際の流しで手を洗っていたとき、視界の端を確かにひらりと布のようなものがかすめていった、その直後に何かがガラガラと倒れ落ちるような大きな音とともにうわーっという叫び声が聞こえた。わたしははじめそれが飛び降り自殺だとは思わなかった。近くに建築資材屋があったので、そこに積んであった資材が倒れたか崩れたかしたんだろうか、と思っていた、いや、思い込もうとしていたところに掃除のおばちゃんが「裏口に人が倒れているよ」と知らせに来たのだった。あの音と声の順番から考えると、地面に叩きつけられるその瞬間まで意識はあったのだと思う。もしかすると、窓の外を落ちて行きながら、途中の階の窓際で手を洗っていたわたしの姿が見えていたのかもしれない。屋上から地面までのほんの数秒の間に「やっぱり死にたくない」と思い直して後悔したかもしれない。

自分が年老いて動けなくなったら、障害者になったら、生活保護を受ける「社会のお荷物」状態になったなら、迷わず安楽死させてもらう、と一見潔い決意めいたことを言う人もいる。しかしわたしはそういう「宣言」を半分笑いながら聞くことにしている。自分が少しでも楽に生きたいがために社会保障費を食いつぶすような他人は死んでもらうのが当たり前と思うぐらいにおのれの生に執着している人間が、年老いたから、障害を持ったからといって自分が死ぬべき側になったことを簡単に受け入れられるものだとはちょっと思えないからである。わたしの母は相方が「身も蓋もない」と称するほどの唯物論者で筋金入りのリアリストなのだが、その母ですら死を選ぶ自信はないという。そして「リアリストいうのはな、自分がそんな状態になったときにどんだけ理不尽な希望を持ってしもうて、どんなブザマな姿でお願いしてしまうやろかってことを現時点でありありと想像できてこそやで」と言って笑う、この人でさえなければと思うことはよくあったが、やはりわたしは間違いなくこの人に育てられたのだなと時々思う。"


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バイリンガルどころか「ハーフリンガル」に…「子どもをバイリンガルに育てるのは意外に困難で、下手をするとどちらの言語も不完全な『ハーフリンガル』になってしまう危険性さえある」と耳にしたのです。

引用したあとでコメントしたい
ーーー
 そもそも私がアメリカに住んでみたいと思った理由の一つは、子どもの学校教育システムにありました。アメリカの学校教育に対して、「詰め込み教育ではなく、独創性が重視され、日本のような受験競争からは無縁のゆったりとした教育が受けられる」という漠然としたプラスのイメージを持っていたのです。
 中学・高校と日本の受験戦争の中をひたすらかいくぐってきた私としては、「自分の子どもたちにはもっと余裕のある教育を受け、有意義な子ども時代を過ごしてほしい」という思いがありました。それに、世界の標準語である英語を自在に操れるようになれば、子どもの将来の可能性もずいぶん広がるだろうと考えたのです。
バイリンガルどころか「ハーフリンガル」に…
 ご存知のように、アメリカで主に使われるのは英語です。わが家には現在4人の男の子がいますが、渡米時に下の2人はまだ生まれておらず、長男は4歳、次男は1歳半で、これからいくらでも言語を習得できるという年齢でした。「英語は保育園や幼稚園、学校で勝手に覚えてくるだろう」という予測の下に、家庭では日本語のみで会話するという方針で子どもを育てました。日本語を学ばせるという目的もありましたが、一日中仕事で英語を使って疲れて帰宅した後に、自分の子どもとまで英語で会話などしたくないという親側の事情もありました。
 それまで私は、日本語を母国語とする日本人の両親に育てられている子どもが英語の国アメリカで育てば、当然のごとく日本語と英語のバイリンガルに育つと思っていました。ところが、渡米前にテレビの番組で、「子どもをバイリンガルに育てるのは意外に困難で、下手をするとどちらの言語も不完全な『ハーフリンガル』になってしまう危険性さえある」と耳にしたのです。それでも「そんなこともあるのか。まあ、うちは大丈夫だろう」と、当時は高をくくっていました。
 さて、アメリカ生活も5年目に入った2008年頃、ついに大変なことに気づきました。以前から薄々感じてはいたのですが、子どもたちの日本語がおかしいのです。長男は小学校3年生、次男は小学校1年生だというのに、どちらの話す日本語も日本の幼稚園児レベルに思われます。正確に測定したわけではありませんが、語彙は著しく不足し、「てにをは」の使い方も不正確。少しでも複雑なことを伝えようとすると、言いよどんで口ごもる。その上、知らない日本語の単語は英単語に置き換えて話すので、こんな具合になっていました。
 「パパ、outsideでbasket ball遊んでいい?」
 「道に歩いてたら、転んで、頭にたんこぶがついて、足に血が出た!」
 毎週土曜日に欠かさず通わせていたインディアナ日本語補習校(※1)の宿題は、問題文の意味が分からなくて解けないことがよくあり、漢字の読み書きを一生懸命やらせても、使う機会がないので片っ端から忘れていってしまいます。漢字があまり得意ではないと、日本語の本を読むのが苦痛になり、読書から遠ざかってますます日本語の発達が遅れるという悪循環です。息子たちの拙い日本語を聞き慣れてしまった頃、赴任したばかりの日本人家族の小学生が話すやけに流暢な日本語に驚いてしまったこともありました。
 では、英語の方はペラペラになったのかというと、現地校(※2)の行事などでは、小鳥の群れのようにぺちゃくちゃとおしゃべりする同級生の中で、わが子はどちらかというと物静かに見えました。そこで、授業や同級生の英語がちゃんと分っているのかと尋ねると、「ほとんど分かっているけれど、時々分からないこともある。同級生のように上手には英語を話せない」という返事。そういえば現地校の宿題をする際、よく「問題文の意味が分からない」と言って私に質問に来ます。英語の成績も何だか平均以下。学校でのテストも問題の意味が分からなくて時間切れになったことがあると言います。
 最近引っ越してきたわけでもなく、就学前からアメリカに住み、幼稚園から現地校に通っていたにもかかわらず、このような事態になってしまったことに、私たちは親として大変ショックを受けました。まさにうわさに聞いていた「ハーフリンガル」状態に自分たちの子どもが陥ってしまったのです。
言語の発達には様々な環境が必要
 いくら私たち日本語ネイティブの両親に育てられても、子どもが小さいうちの会話は、「起きなさい」「ご飯食べて」「あれはダメ」「早く宿題しなさい」といった程度。家庭で使われる日本語のレベルは高が知れています。より抽象的・社会的な表現を含む高度な日本語は、学校や友達との会話、そして読書や作文で培われます。家庭の外で日本語に接する機会が日本語補習校で週に一度5時間だけに限られるという環境では、書き言葉はもちろん、話し言葉まで発達が遅れるのです。
 逆に、学校や友達との会話で英語を日常的に使用していても、家庭でほとんど英語を使わなければ、英語表現の微妙なニュアンスを両親から学ぶ機会がなく、同じく発達が遅れるようです。日本人にせよアメリカ人にせよ、子どもが言語を習得していく過程は、私たちが意識している以上に周囲の言語的・社会的環境に大きな影響を受けていることが分かります。
 インディアナ日本語補習校の校長先生がおっしゃるには、言語の発達には「主となる言語」をまず子どもの中に確立させ、「従となる言語」をそれに沿わせて発達させるのが理想的とのこと。主たる言語の確立がうまくできないと、どちらの言語の発達も遅れてしまうのだそうです。
日本語ネイティブには分からない地理、歴史、古文の大変さ
 あれから5年経って2013年の現在、長男と次男は現在14歳と12歳になりました。英語に関しては、話し言葉も書き言葉も日常生活ではアメリカ人の子どもとほとんど遜色ないまでにギャップが埋まってきましたが、現地校での語学の成績は平均レベルです。日本語も発達は続けていますが、書き言葉も話し言葉も明らかに年齢相応の基準から何年も遅れています。これは、程度の差こそあれ、アメリカ在住のどの日本人家族に尋ねても、よく見られる傾向のようです。
 インディアナ大学病院には、両親が日本語を母国語とする日本人で、子どもの頃からアメリカで育ち、アメリカの医学部を卒業した外科や麻酔科のレジデントが何人かいます。高等教育を全うして医師となり、一見アメリカ人と全く同じように訛りのない達者な英語を操り、英文でカルテを軽やかにタイプしている。そんな彼らも話を聞いてみると、「実は現地校での英語の成績は最後まで平均レベルを抜け出せず、日本語もあまり得意ではない」と打ち明けてくれました。
 興味深いことに、7歳と5歳になる三男と四男は、言語の発達の様子が上の兄弟2人とは少し異なっています。彼らの言語は圧倒的に英語優位です。英語は既にアメリカ人の子どもにほとんど劣りませんが、日本語は上の2人よりさらに語彙の発達が遅れています。個人差もあるのでしょうが、おそらく年上の兄弟のおかげで家庭にいても英語のテレビや本に接する機会が多くなって英語の語彙や表現力が豊かになった一方、日本語で不足している語彙は英単語に置き換えてしまえば家族の中でのコミュニケーションは事足りるため、日本語の発達がさらに遅れているのだと推測しています。
 インディアナ日本語補習校で教える科目は、小学校の間は国語と算数のみですが、中学・高校では地理や歴史、古文も加わってきます。自分自身が日本で中学生だったときには全く気づかなかったことですが、地理や歴史を学ぶにはかなりの日本語の語彙が必要で、平易な現代文の教科書を読むことすら苦労していた長男には大変な負担になっていました。日本語補習校生の多くが中学・高校でドロップアウトして現地校一本になってしまうのも理解できます。それでも四苦八苦しながら地理・歴史・古文の勉強をし続けていると、意外にも長男の日本語の語彙が増え、日本語の表現力にも幅が出てきているのは面白い事実です。
母国語を学ぶ意義をなかなか分かってはくれないが…
 小学校低学年の間は言われるがままに日本語補習校に通っていた子どもたちも、学年が上がるにつれて「なんでなけなしの土曜日をつぶして日本語の勉強をしなければならないの?」という疑問がわいてくるようになります。そんなとき、私は次のように答えるようにしています。
 「英語しか話せないアメリカの普通の家庭の子は、大人になってもアメリカ以外の世界は知らないだろう。一生アメリカ以外の国で働くことも住むこともない人が大多数だ。君は日本語が話せる。少しは日本の文化も知っている。大人になったら日本で働くこともできる。普通のアメリカ人よりも世界が2倍広くなるんだ」
 事ほど左様に、外国に住みながら母国語の能力を獲得し、維持することは大変です。そんな大変な努力を続けたにもかかわらず、海外に移民した人々は3世代目で祖国の言語を失ってしまうと言われています。それでも私がこれほどの手間と時間を自分の子どもの日本語教育に費やすのは、「日本の言語や文化を次の世代に伝えたい」という強い願いがあるからなのです。
 しかし、日本語を学んだとはいえ、英語が優位言語となってしまった私の子どもたちに、世代を超えてこの情熱を維持しろというのは無理な話かもしれません。もし、私の孫たちが全く日本語を理解できないとしても、“日系人としての誇り”だけは少しでも伝えたいと思っています。
ーーーーー
バイリンガルに育てたいという話は少なくない。
でもたいていは、どちらの能力も不足で終わる。
翻訳して置き換えればいいと思っているレベルでは
グーグル翻訳と似たような話で
その人達の望む本当の高レベルのバイリンガルではないのだろう
何か物や事を表現するとして英語ならこう、日本語ならこう、中国語ならこう、などと併記されるのだけれども、飛行機乗り口の表示ならばそれでいいとして、細かい描写やモノの感じ方や論理の組立てになると、それぞれの言語の特性が出て、微細な違いは最後まで残り、その違いに敏感な人は、英語を使っていると日本語が壊れると思い、日本語を使っていると英語が壊れると感じるらしい。入れ替え可能でもないし、むしろ害を及ぼすとの感覚があるらしい。
それは表現者としてのレベルであって、商売の道具として使うレベルならば、バイリンガルで便利なのだろう。
しかし言葉はただの道具ではなくて、人間の脳にとってOSそのものではないかと思う部分がある。それを並列的に使ってうまくいくようにするには、OSを使い分ける上位のOSが必要になるのだが、そんな風には出来ていないらしい。


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覚者涅槃の書先生「あなたの人生はどのような光景だろう。躍動感に溢れているならエクセレントだ。不幸に染まっているなら、そこにもっと入り込みなさい。逃げ腰だからそれが不幸に見えるだけだ。出来事には何の力もない。あなたがそこにいるか、いないかだ。」 ロバート・シャインフェルド氏のメソッドと言っていることは同じですね。 最近思うんですが、出かけなければいけない日に雨が降ってくるのも、株を買っら翌日に日経平均が暴落するのも、出来事そのものは出来事そのものは中立なのですが、それが「誰か」、つまり「私」に起きると思

"覚者涅槃の書先生「あなたの人生はどのような光景だろう。躍動感に溢れているならエクセレントだ。不幸に染まっているなら、そこにもっと入り込みなさい。逃げ腰だからそれが不幸に見えるだけだ。出来事には何の力もない。あなたがそこにいるか、いないかだ。」


ロバート・シャインフェルド氏のメソッドと言っていることは同じですね。


最近思うんですが、出かけなければいけない日に雨が降ってくるのも、株を買ったら翌日に日経平均が暴落するのも、出来事そのものは出来事そのものは中立なのですが、それが「誰か」、つまり「私」に起きると思うときにだけ問題になるということです。

なぜなら、雨が降るということは出かける「私」には問題かもしれませんが、カリフォルニアなんかでは雨が振らなくて渇水になっていることが問題だからです。

一方で、日経平均が暴落するのも「私」がウリポジをとっていたら幸福に思えたでしょう。

つまり出来事そのものに快感や苦痛はあっても、「問題」はありません。

問題は、それが誰かに起きていると個人的に感じる時にのみ問題になるのです。

「私」という感覚は強烈に強い錯覚であるため、これを実感するためには涅槃の書先生やロバート氏が言うように、その不快な感覚にどっぷり入り込まないといけません。そうすればただ不快な感覚だけがあるだけで、それを感じている「私」はいないとわかる時が来るかもしれません。

そうすれば、「私」が問題そのものであったことが突然ひらめくこともあるかもしれません。

すると不思議なことに、問題となった不快感を生じさせていた出来事も消えてしまうことがあるかもしれません。

見かけの私にとっては妹との人間関係が不快感を産み、それが人生最大の問題だったのですが、その不快感にどっぷりはまりこんだらなんということでしょうか。今では20台のセックスレスの恋人みたいな関係になってしまいました。"


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電通の「東大卒エリート美女」な新入社員(24才)が去年12月に自殺し、なんだかんだ騒がれて電通が月あたりの残業時間制限に動き出したらしい。一方で今年1月に残業月250時間の女性研修医(37)が自殺したが、特に騒がれもせず、何も変わらない。全国の研修医の皆さん、明日も頑張ろう。

電通の「東大卒エリート美女」な新入社員(24才)が去年12月に自殺し、なんだかんだ騒がれて電通が月あたりの残業時間制限に動き出したらしい。一方で今年1月に残業月250時間の女性研修医(37)が自殺したが、特に騒がれもせず、何も変わらない。全国の研修医の皆さん、明日も頑張ろう。

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マゾヒズムと劣位の恍惚

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「できる」と「やっていい」を区別するのが倫理だと思います。生殖医療

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“本当の失敗や敗北とは、転倒したという結果ではない。転倒したまま起き上がらないこと。僕はそう思うようになった。そして、それさえ意識できたなら、確固たる失敗というのは、存在しないとも思った。”

“本当の失敗や敗北とは、転倒したという結果ではない。転倒したまま起き上がらないこと。僕はそう思うようになった。そして、それさえ意識できたなら、確固たる失敗というのは、存在しないとも思った。”


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“人間って、意外と「確かめるのが怖くて放置して、いつの間にか時間が経ってしまい、それがそのまま深いところに沈んでしまうこと」ってあるんだよなあ、って。”

“人間って、意外と「確かめるのが怖くて放置して、いつの間にか時間が経ってしまい、それがそのまま深いところに沈んでしまうこと」ってあるんだよなあ、って。”

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“愛されることには失敗したけど、愛することなら、 うまくゆくかも知れない。 そう、きっと素晴らしい泡になれるでしょう” 『人魚姫』寺山修司

“愛されることには失敗したけど、愛することなら、
うまくゆくかも知れない。
そう、きっと素晴らしい泡になれるでしょう”
『人魚姫』寺山修司


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喫煙領域と禁煙領域

"喫煙領域と禁煙領域があるとして、
かなりうまく設計しないと
煙は禁煙領域に漏れでてしまいます

しかしそのように空気の流れをコントロールすることは
結構費用が掛かりそう

だから全部禁煙にして、喫煙は外で、というのが合理的だが
社長が喫煙者だと
不完全な分煙をして
結局どこもかしこも薄っすらと煙たいという結果になる

最近の建物は気密性が高いから、外部からは遮断されていて
内部領域の禁煙領域も喫煙領域も、人は出入りするのだから
煙が蔓延するのは原理的に仕方がない事のような気がする

マンションでも窓を開けていると
どこかのベランダからの喫煙流とか
どこかの換気扇からの喫煙流が気になる

東京のように人が密集している場所では仕方がないですかね
"

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不況の影響としてのトンデモ医学

もちろん昔からトンデモ医学は根強くあって
民間で口承される思考はなかなか強力である

しかし最近の大新聞の宣伝やテレビのコマーシャルを見ていると
すこし限界を超えてしまった感じがしないでもない

知性と感性の全体的劣化を実証しているのだろうが
また別の側面で言うと
そんな商売しかないのだという現実でもあるのだろう

まともなことをして、普通に幸せに生きていける社会ができないものかと思う

ーー
日本ではまだこの程度であるが
東南アジアでは
さらに極彩色に大々的に繰り広げられている

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人生を甲子園の高校野球みたいに、負けたら終わり、みたいに生きてはいけない プロ野球みたいに、長丁場で、勝ったり負けたりして、勝率は5割を少しだけ上回れば、それで上々、 そんなふうに考えているという人がいた。

人生を甲子園の高校野球みたいに、負けたら終わり、みたいに生きてはいけない
プロ野球みたいに、長丁場で、勝ったり負けたりして、勝率は5割を少しだけ上回れば、それで上々、
そんなふうに考えているという人がいた。

生活は毎日続くのだから
100メートル走ではなくて
毎日20キロ走るみたいな感じなのだろうか

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“ 人は何かを批評するとき、 作品そのものよりも、作者が誰なのかを気にする。 作品の素晴らしさよりも、それを誰が作ったか、 誰が描いたかが大事なんだ。そしてそれがダリやピカソだったら、 大して作品を見てもいないうちから『なるほど、これは中々』 なんて言って、無条件に褒めるんだ。ぼくは、本当にうんざりする。 (岡本太郎) ” この名言も最後の(岡本太郎)があるかないかで評価が変わるんだろうなあ

人は何かを批評するとき、

作品そのものよりも、作者が誰なのかを気にする。

作品の素晴らしさよりも、それを誰が作ったか、

誰が描いたかが大事なんだ。そしてそれがダリやピカソだったら、

大して作品を見てもいないうちから『なるほど、これは中々』

なんて言って、無条件に褒めるんだ。ぼくは、本当にうんざりする。

(岡本太郎)


この名言も最後の(岡本太郎)があるかないかで評価が変わるんだろうなあ 


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弱い人間がこの世界で生きていくためには 適度の嘘と適度の誤解が必要なこともある

弱い人間がこの世界で生きていくためには

適度の嘘と適度の誤解が必要なこともある


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アイスクリーム類の法律的な区別

"あまり考えないでアイスクリームと言っているが
法律によって区別があり
税金が違ったりするらしい

アイスクリーム(乳固形分15.0%以上 うち乳脂肪分8.0%以上)
乳固形分と乳脂肪分が最も多く含まれており、ミルクの風味が豊かに感じられます。

アイスミルク(乳固形分10.0%以上 うち乳脂肪分3.0%以上)
乳固形分と乳脂肪分はアイスクリームに比べて少ないですが、牛乳と同じくらいの乳成分を含んでいます。
植物油脂が使われることもあります。

ラクトアイス(乳固形分3.0%以上)
乳固形分はさらに少なく、植物油脂が使われることもあります。

氷菓(上記以外のもの)
乳固形分はほとんどありません。果汁などを凍らせたアイスキャンディーやかき氷などがあります。 

要するに一番高い牛乳を使った奴がアイスクリームで、アイスミルク、ラクトアイスとなるにつれて、原料が安くなる。そして当然だが世界の常識として、アイスクリームが一番美味しい。たとえばハーゲンダッツである。

ところが日本の技術はすごい。いろいろな工夫をして、アイスミルクが一番美味しいじゃないかとか、ラクトアイスが一番だとかの声も聞かれるくらい、味の調整ができる。
子供なんか本物の乳脂肪分の高いミルクの味が好きとは限らないのでこんなことが起こる。

すると、日本のアイスクリームメーカーは、たとえばニュージーランドの酪農組合に、変な注文を出す。
彼らにすれば、どうでもいい、低価格の製品に、あれこれどう調整してくれとか数字の注文をつけてくる
しかし安いものにそんなに手間暇はかけたくないのが実情だろう

バターとクリームチーズの違いもそうで、ほとんど似ているのだが、税金が違う。だからニュージーランドに変な注文をする。50%だとバターで、49%だとクリームチーズという具合で、一応ニュージーランドの農民も付き合ってはくれるが、普通のバターを食べたらいいじゃないかと思っているに違いない。"



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“「神は耐えられないような試練はお与えにならない」というのは事実。わたしの好きな言葉。でも、だからこそ「耐えられないようなものは神の試練ではなく単なる不幸だから、さっさと逃げるべき」です。いじめやDV、そんなものを「神の試練」として耐える必要はないのです。 by 聖書たん”

“「神は耐えられないような試練はお与えにならない」というのは事実。わたしの好きな言葉。でも、だからこそ「耐えられないようなものは神の試練ではなく単なる不幸だから、さっさと逃げるべき」です。いじめやDV、そんなものを「神の試練」として耐える必要はないのです。 by 聖書たん”

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 高次脳機能障害は、脳の機能が低下し、感情のコントロールができなくなったり、物事に集中できないといった症状が現れたりする。重度になると10~15分前の記憶をなくしてしまう。障害が周囲の人に認識されず、引きこもりや自殺に追い込まれる例もあるという。  こうした事情を背景に、2009年8月、同センターは窓口を設置。電話やメールで相談を受け、地域の福祉サービスの紹介、障害者手帳の申請などを助言している。

病気や事故で脳に損傷を負い、認知障害を引き起こす高次脳機能障害について、兵庫県の支援拠点、県立総合リハビリテーションセンター(神戸市西区)に寄せられる相談件数が増加し、本年度は4千件を超す見通しとなった。3年前の2倍以上といい、同センターは担当者を増員するとともに、福祉施設などとの連携強化を図る。

 高次脳機能障害は、脳の機能が低下し、感情のコントロールができなくなったり、物事に集中できないといった症状が現れたりする。重度になると10~15分前の記憶をなくしてしまう。障害が周囲の人に認識されず、引きこもりや自殺に追い込まれる例もあるという。

 こうした事情を背景に、2009年8月、同センターは窓口を設置。電話やメールで相談を受け、地域の福祉サービスの紹介、障害者手帳の申請などを助言している。

 10年度は延べ1657件だったが、11、12年度は3600件を突破し、本年度は7月末で1474件。このペースだと年4千件を超すという。担当職員の藤坂幸広さん(37)は「相談の増加は障害の認知が広まってきた証拠」と受け止める。

 東京都の08年調査による推計で、障害のある人は全国で約50万人。兵庫県内の数は把握できず、藤坂さんは「センターに寄せられる相談が全てではない。支援の網にかからない人も少なくない」と指摘する。

 同センターは相談担当者を本年度から1人増やし、3人で対応。県内の福祉事業所や病院などとの連携を強化するほか、支援者を対象とした研修を9月と12月に開くなど、支援策に力を入れている。


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“嫌な人に遭遇したら、「勉強させてもらいました。もう十分ですありがとう」 と、心の中で拝むんだと。 すると不思議、嫌な奴が後腐れなく去っていく、関わらなくなるらしい。”

“嫌な人に遭遇したら、「勉強させてもらいました。もう十分ですありがとう」 
と、心の中で拝むんだと。 
すると不思議、嫌な奴が後腐れなく去っていく、関わらなくなるらしい。”


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“金閣寺、銀閣寺があるが、銅閣寺もある、鉄閣寺もある"

“金閣寺、銀閣寺があるが、銅閣寺もある、鉄閣寺もある"

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党首討論が劣悪すぎるという批判の中でビデオが流れている かつて党首討論で、野田氏のまったくおかしな申し出があり、総選挙となり、 安倍政権の誕生につながった 全くおかしな話であったと思う

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党首討論が劣悪すぎるという批判の中でビデオが流れている

かつて党首討論で、野田氏のまったくおかしな申し出があり、総選挙となり、

安倍政権の誕生につながった

全くおかしな話であったと思う

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短い人生は時間の浪費によっていっそう短くなる。サミュエル・ジョンソン

短い人生は時間の浪費によっていっそう短くなる。サミュエル・ジョンソン


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情熱や愛情が無いと、叱っても、ただ怒られているというとらえ方をする。

情熱や愛情が無いと、叱っても、ただ怒られているというとらえ方をする。


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野球の変形

サッカーで、ゴールポストに入ったか入らなかったかはわかりやすい


野球でいうと

ホームベースの後ろにストライクゾーンに相当する部分に網を用意すれば

ストライクかボールかは機械的に明確になる


投手が投げて三回網に入ればアウト

バッターはストライクでもボールでも打てばいいが

ゴールポストをセカンドとセンターの間くらいにおいて、そこに入ったら4点

飛び越してしまって観客席に入ったらホームランとして1点

それ以外はアウト

守備はないし走塁もない

審判はいらない



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人口と一人あたりGDPと選手選抜と育成の仕組み

サッカーの国別対抗戦は何を意味するだろう


人口と一人あたりGDPと選手選抜と育成の仕組みということなのだろうか


中国やインドがそのうち強国になるのは間違いないだろうけれども

ヨーロッパの小国が強いのはどうしてなのか


プロ野球で言えば

高校野球で県対抗

そのあとプロになったあとで県別対抗をすれば

サッカーの国別対抗のようになるのだろうか


自分が応援したい国を応援するのは人間の所属の本能として、仕方のないものだと思うが、

ある国のある戦術がいいから応援したいとか、そんな風になれば進化した形だろうと思う


国別で対抗するという形は

大国に有利であってまったく合理性がない

国家主権の絶対性を基調とする国家ナショナリズムが基本としてあるのだろう


ユーロにしても国別に出ているわけで

どうなんだという感じはないでもない


貴族制度を温存するとか

資産家が持ち株会社の奥に隠れてぬくぬくと暮らすとか

国家主義を宣揚して税金を巻き上げ軍事予算を確保するとか

ろくでもない人たちが多い


人類の理想はどうした


ーーー

中国などは12個のチームでエントリーしてもよいはずだろう


それとは別に、国籍を取得して、その国の代表選手として出場するという方式が認められている

そうした点ではナショナリズムの発揚にもあまり役に立たなくなってくるのかもしれない


日本にラグビーチームなどは典型的で

日本国籍を取得した人が走っていて

私としては日本人がプレイしているとは全く思えない



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ドイツは一次リーグで敗退

ワールド・カップ

ドイツと韓国

後半になって韓国が2ゴール

ドイツは一次リーグで敗退


ドイツも命がけなのだと思うが

どうしてうまく行かなかったのだろう


オーラは幻だったのか


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感謝しかない! ほぼほぼ 嗚咽

「感謝しかない」とか「ほぼほぼ」とか

流動しつつある日本語

流動は若い人たちから、そしてテレビで見かけるのはスポーツ選手などのインタビュー


「もっと他の良いものがあればよかったのだけれども、残念ながらAしかない」というような使い方が

しっくり来る

「古くなった卵しかない」


感謝もあり友情も尊敬もあるが、いまは特に感謝を表明したい、という場合に

非常にとかとてもの代わりに「感謝しかない」と言うようだ

とても、はなはだ、というような意味らしい

「とても感謝しています」


どの時代でも「very」の新しい表現を探し続けているようである。


It's only A. ということらしい。あるいはvery A-ful という感じか。It's very much A.

日本語だと、憎しみしかないと、いまはただ感謝だけです、との間に論理も感情も違うものがあると思うが

まあ、細かいことだ


こういう場合は、言葉の網の目が、細かくなるのでもなくずれるのでもなく、ぼやける方向だろう


昔は緑色を青と言ったのだが、色を表す言葉が分化して、緑色が独立した

青い山、青い林檎、青のり、

一方、みどり児


文化する方向は時代の変化として認められやすい

反対に、緑色も青と今更言うのは未分化の方向なので

逆方向だろうと思う


「感謝しかない」は逆方向の一例かと思われる


「ら抜き言葉」は気持ち悪いが、論者によれば、表現の分化であって、悪いとも言えないとのことらしい


しかし最近でも、インタビューの字幕には、ら抜き言葉は敬遠されているように思う


吐き気がするということを嗚咽(おえつ)がしたと言う人がいて驚いたが

国語や漢文を勉強しないと、現代の日常の言葉に嗚咽はでてこないので

話している人は漢字をイメージしていないと思う

吐き気がして吐く寸前まで行った、「おえっ」となった、というのを「おえつ」と言っているようである


「吐き気を催してオエッとなること」を嗚咽と言うのは間違い、と説明があるので

間違いを使用している人もある程度多いのだろう


ただ泣くよりも深い感情でむせび泣くときに嗚咽するというのであるが

漢文でしか使わないかもしれない

漱石、鴎外では出てきそうである


漢文で「感謝しかない」という言い方はないので、違和感の源泉は、漢文脈でしっくりこない、経験がないということかもしれない。

普通使わない日本語でも漢文脈でしっくりしていれば問題ないように思う。


いまは英語に翻訳できる簡単な言葉が選ばれるのだろう


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最近の流行り言葉「~しかない」


最近、特に Twitter でよく見かける言葉。


「~しかない」

[例]

・いつも飲みにつきあって愚痴を聞いてくれる友達には感謝しかない。

・いつも応援してくれるみんなには感謝しかない。


使い方としては、『名詞 + しかない』という使い方が新しい。名詞は「感謝」であることが多く、他には「かわいさ」「~の気持ち」などが使われる。


従来からある「~でしかない」という限定の意味とは逆の状況、nothing but の意味で使用する。程度が非常に大きく、ある空間や状態に (名詞) しかないという状況を述べることで、心からそう思っている、あるいは、非常に~である、と述べたいときに使う。


「~でしかない」が「所詮~でしかない」「偽物でしかない」、あるいは従来の「~しかない」が「一ヶ月しかない」「これしかない」と、限定的、またはネガティブな表現になりやすいのに対して、新しい「 (名詞) + しかない」はポジティブさが非常に大きいと言いたい時に使う。


「感謝しかない」は「心から感謝している」「感謝の念が非常に大きい」という意味だ。


流行り言葉は悪くない

流行り言葉が生まれるということは、その言語が使用されている社会で、人々が今まで存在しなかった新しい感情・状況などをより正確に描写するために今までになかった表現が必要だと感じている、ということで、社会の新陳代謝の表れでもある。したがって、流行り言葉があること自体はむしろ喜ばしいことだ。ただ、ある程度以上の世代にとっては、今まで何十年も使って慣れてきた言葉の枠から外れることがあるため、時にそれを「間違っている」と感じることがある。


ポジティブな「しかない」表現の可能性

流行り言葉は流行ってこそ。流行になってほとんど瞬間的に猛烈に使い倒されて、その役割を終えるものが大半だ。翌年には「ああそんなものもあったね」と振り返ることになるのが常だ。社会はゆっくりと変遷していくものであるので、あまりに突飛な表現や、多くの人が受け入れがたいと思う表現は、仮に瞬間的、一時的に流行ったとしてもいずれすたれてしまう。ギャル語や、「~円からお預かりします」などのコンビニ言葉などがそうだ。


ところが、「~しかない」は、もともと一般的に使用されている表現だ。「~でしかない」「~しかない」という否定的な限定を表す表現に、ポジティブさという方向性を新しく付加しただけ「でしかない」。これはなかなか長期生存の可能性が高い。なぜなら文法的に違和感を覚えることもなく、従来からある表現を侵犯することもない。頻用されても気づかない人もいるのではないかと思うほどに、さりげなく一つの新しい表現として存在を保つことができるかもしれない。


最大程度表現と SNS

物事の程度が非常に大きいということを表す表現で、最近頻用されるものとしては、「ヤバイ」と「~過ぎる」がある。「美人過ぎる○○」とか「だれそれのライブ行って来た。ヤバかった!」などと SNS で目にしたことがあるだろう。


「ヤバい」も元々ネガティブ方向の言葉だったのが、最近は単に程度が大きいことを指し、ネガティブでもポジティブでも使える言葉になった。


「ヤバい」にしろ「~過ぎる」にしろ、ある一定以上に程度が大きいということを言う表現なのだが、その程度を正確に測ることはできない。ある意味で無限表現と言える。ところが「~しかない」は当人が扱える限りにおいての最大値に到達していることがわかる。限定的最高表現だ。


SNS を使用していると、投稿を他者に強くアピールしたいという欲求が高まる。結果として、「非常に良かった」が「ヤバい」になり、「モデルみたいな美人」が「美人過ぎる」になり、そして「とても感謝している」が「感謝しかない」になる。アピールの「強さ」が重視され、その表現の具体性は二の次になる。


言葉は私的であると同時に公的なものでもある。話し言葉であれば、その会話の輪の中にいる人だけで通じればことは済むのだが、SNS では、例え私的な言葉の発し方でも、投稿された瞬間にその表記は公的な社会性を帯びる。そして、SNS の特徴のひとつとして瞬間的な投稿を積み重ねていくという指向があるために、私的な言葉が社会的に積み重ねられていく。私的な言葉、私的な表現がより身近で平易であるために、SNS は私的な言葉で埋め尽くされていく。


こうしてより強い程度表現が模索され、視覚的に程度が強い表現や、なにやらよくわからないけど程度が大きい表現、というものが氾濫してきた。


ところが、ポジティブな「~しかない」表現は、この程度表現の過熱傾向に一石を投じるという意味で興味深い。繰り返しになるが、従来からある表現で、従来からある文法を犯すことなく、新しい方向性を付加している。


程度表現の揺り戻しという意味では、「全然」がある。明治大正の頃は「全然 + 形容詞」で使われていたが、特に戦後しばらくは「全然~ない」という完全否定表現だけが正しいとされいていた。そして 21 世紀になって再び「全然 + 形容詞」表現が再興してきた。


「~しかない」表現がポジティブな意味で使い続けられるかどうか、それは人々がなんとなく決めることだ。「感謝しかない」を良くない表現だと思う人が増えれば衰退していくだろうし、「感謝しかない」んだったら非常に感謝しているってことでいいじゃないか、と思う人が多ければ、それは生き残るだろう。


まあその可否が決まるころには次の新しい表現が生まれてきていているだろうけれど。

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