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安倍加計会談は嘘でしたと加計学園事務長、県知事不在の愛知県庁で説明 平気で嘘がつけるのは宗教心がないからだろう

安倍加計会談は嘘でしたと加計学園事務長、県知事不在の愛知県庁で説明


平気で嘘がつけるのは宗教心がないからだろう


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プロレスで反則攻撃が興奮を呼びますね

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プロレスで反則攻撃が興奮を呼びますね

反則だから嫌われるのではないし排除されるのでもない

ハラハラさせるには一番らしい

面白い現象です

反則は販促なんですね

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アメリカでは放送法の「公平の原則」は廃止された。なぜか。

高市早苗総務大臣の電波停止発言が問題になっている。
放送法は放送局に対し「政治的公平」を求めており、
これに違反した放送を繰り返し行った場合、
総務省がその放送局の電波を停止することが出来ると国会で答弁したのである。

アメリカもかつては放送法に「公平の原則」を明記していたが、
30年ほど前、「公平の原則」を放送局に押し付ける事は、
憲法が保障した「言論の自由」に違反すると最高裁が判断し、「公平の原則」は廃止された。

日本とアメリカは放送の「政治的公平」を巡って真逆の方向を向いている。
なぜそのような事が起こるのか。
アメリカは放送の世界に新規参入を促して多彩な言論を保証する事が、
憲法の「言論の自由」と合致し民主主義を発展させると考えている。

ところが日本では言論機関と称する新聞社が既得権益を守るためにテレビ局を系列化し、
またNHKが受信料を確保するため有料放送の世界を拡大させないようにした。
日本のメディアが自己の利益のためにアメリカと真逆の放送の世界を創った事が、
今になって安倍政権に付け込まれているのである。

そして誰も「公平の原則」を撤廃しようとは言い出さない。
「権力の横暴」を批判したところで始まらない。安倍政権の脅しは既にメディア界に浸透しきっている。
かつて日本とアメリカの放送の世界に今ほどの違いはなかった。

あるとすればアメリカはCM収入で成り立つ三大ネットワークが中心で、
寄付で成り立つ公共放送がマイナーな存在だったのに対し、
日本は国民からの受信料で成り立つ公共放送のNHKと、
三大ネットワークと同じCM収入で成り立つ民放とが肩を並べる二元体制であった。

違いが出てくるのはケーブルテレビがアメリカで普及し始めた70年代後半である。
それまでの電波を使うテレビはチャンネル数が限られたが、
ケーブルで放送を行うテレビはチャンネル数を飛躍的に増やす事が可能となり、
「多チャンネル放送」がアメリカで始まったのである。

チャンネル数が少ない電波の放送を自由放任にして国民に偏った情報が流された場合、
国民の判断に大きな影響を与える懸念が生じる。
民主主義にとって最も重要なのは国民の判断を誤らせない事である。
そこで電波のテレビには国民の判断を誤らせないための「公平の原則」が強制されることになった。
政治的に対立する問題を放送する場合、両者の言い分を偏りなく放送しなければならないとされた。
戦後、アメリカを真似てテレビ放送を始めた日本はそれをそのまま放送法に盛り込んだのである。

ところがアメリカに「多チャンネル放送」が始まり、さらに79年にスリ-マイル島で原発事故が起きた。
原発を巡る放送は「公平の原則」から言えば「原発反対と原発賛成」を必ず並べて放送しなければならない。
しかしこの時の地元テレビ局は「原発反対」の放送を行い、放送法違反が問題にされた。
この時に婦人団体が「原発反対」の放送を擁護して立ち上がる。
むしろ放送法がおかしいと裁判に訴えたのである。

そして連邦最高裁判所は「放送局が少ない時代には公平の原則を課す必要があった。
しかし多チャンネルの現在、すべての放送内容に両論を併記するよう強制する事は、
かえって憲法が保障する言論の自由を害する」との判断を下した。
そしてテレビ局を監督するFCC(連邦通信委員会)が87年に「公平の原則」を撤廃したのである。

つまり放送局は一方の意見だけを放送しても放送法違反には問われないが、
反論を申し出られた場合には反論も放送しなければならないとされた。

アメリカでケーブルテレビが普及したのに、
アメリカの真似をしたがる日本にそういう動きは見られず、
むしろケーブルテレビの普及を遅らせる動きがあった。
日本には「多チャンネル放送」を実現させないようにする勢力がいたのだ。

それを追及していくとテレビ局を系列下に置いた新聞社と有料放送拡大阻止を狙うNHKが見えてきた。
アメリカでは全国紙と全国ネットのテレビが系列になる事を禁じている。
影響力のあるメディアが統合される事は民主主義に必要な言論の多彩さをなくすからである。

ところが日本では70年代半ばに朝日新聞社がNET(日本教育テレビ)を
系列にしようと田中角栄氏に働きかけ、
それを契機にすべての民放テレビ局が新聞社の系列下に入る事になった。
全国紙を頂点に民放キー局があり、その下に準キー局、そしてローカル局が底辺に位置付けられる。
朝日、毎日、読売、産経、日経の5つの縦の系列が出来上がった。
そしてケーブルテレビの普及は系列の末端の地方ローカル局を脅かすと判断されたのである。

一方でNHKと民放との二元体制は、
受信料という有料放送の世界とCM収入の世界とが競合しないことで成り立っていた。
それまで視聴者は何も考えずに受信料を払ってきたが、
そこに有料放送のケーブルテレビが参入し、NHKより安い料金で放送が見られるようになれば、
視聴者にコスト意識が出てくる。それがNHKには困るのである。
新聞社とNHKは自民党の政治家に働きかけて郵政省に圧力をかける。
こうして日米の放送の世界は大きく離れていくのである。

郵政官僚の中にはアメリカのように多チャンネル時代に対応した放送法に変えなければならないと
考える人もいたが、新聞社とNHKの政治力は大きく、したがって放送法は時代遅れのままとなった。

アメリカではケーブルテレビや衛星放送が多チャンネルの世界を形成して三大ネットワークと肩を並べたが、
日本では新聞社を頂点とするピラミッドの最底辺にケーブルテレビや衛星放送が位置付けられ、
しかも新規参入業者には経営が困難な諸制度があって撤退させられ、
ケーブルテレビや衛星放送が新聞社とテレビ局の既得権益を脅かす存在にはならなかった。

政府与党が「放送法」を振りかざして放送局に対応する様は、
日本が情報や民主主義の面で遅れた国である事を世界に宣伝しているようで恥ずかしい。

しかし同時に権力にそうさせる素地を作ったのは日本の新聞とテレビである事も忘れてはならない。
これこそが権力以上に恥ずかしい存在である事を国民が理解しないと、
日本の「言論の自由」も「民主主義」もただのお題目になる。

高市大臣の電波停止発言には「権力の横暴」とか「言論の危機」とか批判の声も上がっているが、
権力がメディアを操縦しようとするのは万国共通のいわば常識である。
それを「けしからん」と批判するだけでは何も変わらない。

恥ずべき存在のメディアに奮起を促しても無駄だろう。
しかしアメリカの教訓は、何かで権力が放送法違反を問題にした時、
放送法がおかしいと言って国民が立ち上がり、司法に訴えなければ始まらない事を示している。
日本の司法がアメリカと同じ結論を出すかどうかは分からないが、
「言論の自由」を巡る両国の差が分かるだけでも意味はある。


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私は歯車であることをご理解いただきたく存じます。私に自分の考えなどございません。

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監督、コーチと大学の責任はどう思いますか

学生「それは僕の立場からは何も言えないです」


安部総理の関与はどうだったんですか

佐川「記録は全部捨ててございますので何も言えませんでございますが、

安部総理夫妻の関与がなかったことだけは断言できるところでございます」


安部総理の関与はあったんですか

柳瀬「記憶がはっきりしないんでございますが、安倍総理夫妻の関与がなかったことだけははっきりと記憶してございます。政府内で検討した結果突然記憶がよみがえる、そのようなこともないことはないと存じましてございます。」


安部かけ話し合いは本当にあったんでしょうか

今治タオル「総理も愛媛県もかけ学園も全部正しい。」

かとさん「功を焦った。話を盛った。」

かけ学園「ほんとうはなかった」


日本は核兵器防止についてどういう態度で臨みますか

政府・総理・外務大臣「アメリカに100%賛成でございます」


日本は北朝鮮問題に対してどう考えているんですか

政府・総理・外務大臣「トランプ氏の一つ一つの言葉すべてについて、100%賛成でございます」


在日米軍の沖縄の負担が大きすぎるのではありませんか

政府・総理・外務大臣「北朝鮮、中国の軍事的脅威が増大しており、在日米軍は一層必要不可欠でございます」


すべては上位の支配者がいて、下位の者は歯車でしかなく、

自分が人間であることも忘れてしまっているということ。

殺人タックルができるくらいなんだから

自分の意見を言うくらいできるだろうと思うが


学生は就職がかかっているし

役人は出世がかかっているし

日米関係は敗戦被占領国だし

公明党は国交省の絡みで何も言えないし

結局お金がかかっていて生活がかかっているわけで


質問する側も

視聴率上げる・スポンサーを怒らせない、くだらない質問をするしかないところが

いかにも歯車感が出てる


私は歯車であることをご理解いただきたく存じます。私に自分の考えなどございません。

一番強いものにしっぽを振りたいと常日頃心掛けてございます。

一番強いものの途中交代が一番困るんでございます。

日大上層部と関東大学アメフト連盟の上下関係とか

トランプ氏とジャパンハンドラーと日本会議と経団連の関係とか

誰が一番強いのか、定期戦でもやって、確定していただきたく存じます。


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時間と労力が省ける22のトリック

https://www.youtube.com/watch?v=8T9DyZva0RU


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政界・財界→CMでマスコミをコントロール この構図がある限りプロレスだ

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政界・財界→CMでマスコミをコントロール

この構図がある限りプロレスだ

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制度の欠陥に徹底的に寄生して、制度を曲解し、禁止されていないからやってもいいという理屈でやってしまう

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国政選挙、自民党総裁選挙、大臣任命、補佐官などの任命、内閣府、内閣情報室など

制度の欠陥に徹底的に寄生して、制度を曲解し、禁止されていないからやってもいいという理屈でやってしまう

馬鹿だあほだといわれてもやってしまう

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“「みんな仲良く」という綺麗事を教育するのはやめて、 「仲良く」できなくても「協力」はできる。 「仲良く」できなくても、ごく普通の会話はできる。 「仲良く」できない部分は、お互いに触れないように距離を置く。 中学生くらいには、こういう対応を教えてもいいと思う。”

“「みんな仲良く」という綺麗事を教育するのはやめて、
「仲良く」できなくても「協力」はできる。
「仲良く」できなくても、ごく普通の会話はできる。
「仲良く」できない部分は、お互いに触れないように距離を置く。
中学生くらいには、こういう対応を教えてもいいと思う。”


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“「同じ著者の小説をつなげてzip圧縮したら、複数の著者の小説をつなげて圧縮するよりも圧縮率がいいから著者推定に使える!」って論文が見つかった。キワモノかと思ったら精度いいし。論文探してるとしばしば「その発想はなかったわ」な物が見つかって面白いが俺は数日前にこれをやっとくべきだ。”

“「同じ著者の小説をつなげてzip圧縮したら、複数の著者の小説をつなげて圧縮するよりも圧縮率がいいから著者推定に使える!」って論文が見つかった。キワモノかと思ったら精度いいし。論文探してるとしばしば「その発想はなかったわ」な物が見つかって面白いが俺は数日前にこれをやっとくべきだ。”


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準強姦とは、「人の心神喪失もしくは抵抗困難な状態に乗じ、またはそのような状態に陥らせて姦淫する」犯罪である。 「つまり、心神喪失状態にある被害者は、明確な証言ができない。逆に、記憶が鮮明だと、警察や検察から『意識がはっきりしているならば断れるだろう』と言われてしまう。矛盾ですよね」

準強姦とは、「人の心神喪失もしくは抵抗困難な状態に乗じ、またはそのような状態に陥らせて姦淫する」犯罪である。
「つまり、心神喪失状態にある被害者は、明確な証言ができない。逆に、記憶が鮮明だと、警察や検察から『意識がはっきりしているならば断れるだろう』と言われてしまう。矛盾ですよね」


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労働者と資本家がともに苦境にあるとき、労働者は生きるか死ぬかで苦しんでいるが、資本家は金を儲けられるかどうかで苦しんでいるということは、一般論としていえる。

労働者と資本家がともに苦境にあるとき、労働者は生きるか死ぬかで苦しんでいるが、資本家は金を儲けられるかどうかで苦しんでいるということは、一般論としていえる。


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以下の記事 失態とも言えるが、故意のこととも解釈できる

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以下の記事

失態とも言えるが、故意のこととも解釈できる


日本の頭脳である財務省官僚が、またもや大失態をしでかした。
 財務省は23日、約4000ページにのぼる森友学園との交渉記録や改ざん前の決裁文書をホームページで公開した。ところが、約3時間後の同日夕にすべて削除。24日未明にあらためて公表した。その理由は、資料の一部について「マスキングした情報が一定の操作により閲覧し得る状態となっておりました」からだという。
【公開】森友“黒塗り“文書、黒塗りを外した画像はこちら
https://dot.asahi.com/photogallery/archives/2018052900035/1/
 もちろん、情報公開された文書をマスキングすることは、プライバシー保護などの理由があれば一定の条件のもとで認められている。だが、財務省のやり方はまずかった。
「財務省の官僚は、黒塗りのマスキングするときにパソコンで作業したのでしょう。ただ、元のデータを消さずにそのまま塗りつぶしたので、隠すべき部分がデータとして文書に残ったままになっていた。こういったミスを避けるため、紙に印刷をしてからスキャンするなどの対策をするものなのですが……」(野党関係者)
 本誌は財務省が最初に公表した文書を入手。黒塗りを取り除く作業は、パソコン上で驚くほど簡単にできた。そこで中身を精査すると、またもや財務省による安倍政権への“忖度”と思われる部分があったのだ。
 森友学園は15年5月に将来の土地買取りを前提とした賃貸契約を締結。ただ、その後に籠池泰典・前理事長や妻の諄子氏は、学園が建て替えていた小学校建設のための土地改良費の早期支払いを近畿財務局に要求していた。安倍昭恵首相夫人にも相談し、昭恵夫人付き職員(当時)の谷査恵子氏が財務省に籠池夫妻の主張を伝えるなど、政治的な圧力を強めていた。
 年があけても学園と財務省の協議は平行線だった。そこで、諄子氏は16年1月8日に近畿財務局に電話をかけ、「知り合いの弁護士」と話し合いをすることを提案。その弁護士とは、稲田朋美元防衛相の夫である稲田龍示弁護士だったのだ。財務省が公表した資料では、稲田氏の名前はすべて黒塗りにされていた(写真参照)。
 これだけではない。会話記録とは別に、財務局の担当者は〈参考〉と題したメモを記していた。そのほとんどがマスキングされていたが、黒塗りをはがすとこんなことが書かれていた。
<稲田龍示弁護士は自民党の稲田朋美政調会長のご主人。稲田朋美政調会長は、第2次安倍内閣発足時に行政改革担当相となり、一昨年9月には党三役に抜擢。二階俊博政務会長と親密な関係>
 そのほか、同年1月27日に、近畿財務局や大阪航空局の担当者6人が、稲田氏の事務所を訪問した記録も残されている。籠池夫妻も同席するなか、稲田弁護士は冒頭にこんな話をしていた。
<過去から籠池理事長とはお付き合いがあり、尊敬している。(中略)今回の件をお聞きして、複雑な話になっているとは感じたが、理事長が教育者として努力していることも承知しており、これまでの国の対応に不信感を持っていることについては、法律的な観点ではなく心情的に理解できるもの>
<本件について、今後、顧問弁護士を引き受ける可能性もあるが、本日時点では事件受任している立場にはない。本日は同席させていただいて、理事長からのお話を一緒に伺うという立場であることを申し上げる>
 そしてその後には、同席した近畿財務局の担当者が書いたと思われるメモがあった。
<※稲田弁護士は、定期借地契約書の写しを手元に持っている様子だった>(財務省公表資料では、稲田氏の名前部分は黒塗り。以下、同じ)
 同年2月5日の記録では、籠池夫妻の主張と稲田弁護士の意見が合わず、諄子氏は<稲田先生とはもう縁を切った>と述べたことも、メモに残されている。
 28日の参院予算委員会の集中審議では、共産党の小池晃参院議員が、稲田弁護士の名前を隠したことについて「なんで黒塗りにしなければいけないのか」と追及。財務省の太田理財局長は「情報公開法にしたがってマスキングして提出させていただいた。何が書いてあるのかについてはお答えをしかねる」と苦しい弁明を余儀なくされた。
 安倍首相は稲田弁護士の名前が黒塗りされていたことについて、「稲田議員のご主人が弁護士として関わっていたということはすでに明らかになってることで、稲田さんが二階さんと親しいということは隠すことでもない。私としてはむしろ全部出していただいたほうがよかったと思う」と述べた。
 財務省の初歩的ミスで明らかになった稲田氏の名前。これも財務省官僚による新たな“忖度”なのか。4000ページもの文書が公開されても、いまだ明らかになっていない情報があることだけは間違いない。(今西憲之/AERA dot.編集部・西岡千史)



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「堂々と勝ち、堂々と負けよ」

「堂々と勝ち、堂々と負けよ」


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自由意志の錯覚から脱している人が一部存在していて それが自意識の障害の一部として観察されて分類されている

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自由意志は錯覚だと言ってもなんの得にもならないから無駄だけれども

自由意志の錯覚から脱している人が一部存在していて

それが自意識の障害の一部として観察されて分類されている


原理を論じても治療に直結するわけではないので困るのだが

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自由意志について論ずる場合

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自由意志について論ずる場合
自然科学的発想からは自由意志の否定にならざるを得ないので
世間の無知や伝統的価値観と対立せざるを得なくなり
それは世間を生きる上で非常に不利な立場となる
民衆の聞きたい歌をうたうのが生きる秘訣だということになる
年をとるに連れてそのような考察はどうでもいいこととなって
要するに周囲の知り合いと仲良くやっていけばいいという結論となる
自由意志論について
伝統的な哲学に接近することは
不毛な泥沼で実りのない時間を過ごすことになる
いまだになんの進歩もない分野である
創発性などと論じている
それは要するに世間を生きるには邪魔な考察であるからだ
しかし知的好奇心からは重大な論点であると思う
そもそも自由意志があることは個人の体験により自明ではないかとの感想はある
それで議論は打ち切りである
それ以上なにかを言うとすれば
自由意志を否定するとは、頭がオカシイのではないかとの反応もあるだろう
世間とはその程度のものである
学者は専門馬鹿なのであるから仕方がないとも言える
自由意志を論じるとしてそれはどのように定義されるものなのですかとの方向になると
哲学史のおさらいになる
そして果てしない誤解と無理解の連続となる
日本で言えば翻訳の問題も大きい
宗教の都合とか世俗権力の都合とか倫理や法の要請とか
たいへんに煩わしく、理解を拒む勢力が広く存在していて
相互理解も進まない
諦めるしかないのが現状だろう
現状では適切な方法が見つからないので突破口がない
それが結論だ
電子顕微鏡という方法がないのに、ウィルスの論議をするのは無理というものだ
野口英世の例もある
電子とか磁力とかは現実に役に立つことが理解の背景にあるだろう
そんなものを理解しなくてもたとえば役人や政治家にはなれるのだから、実際には理解しなくても不都合はない
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暗黙のうちにどのような価値観を優先しているのかを考察すべきだ

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なにか問題を考察する場合に

マスコミや売文屋は大衆の感情に迎合していればいいのだろうけれども

多少でも原理的に考察する場合には、

ある考え方、ある感情、ある結論の背景にはどのような価値観があるのかを

見極めることが大切ではないかと思う


もちろん、簡単なことではないが、大切は大切だし

それがすぐに現実に反映されなくても、やはり原理的な考察は大切だと思う


ある問題についてAという結論とBという結論があるとして、

もしAをとるならば、その背景にはXという価値の優先があり

もしBをとるならば、その背景にはYという価値の優先がある

というような考察である


自由と平等とか

機会の平等と結果の平等とか

現在の利益と、未来の理想とか

人権と公共の利益とか

暴力に屈するか、暴力を否定するか

そのような対立軸はあって

またたとえば自由意志の尊重か、人間の意志は環境に対する反応であるとする考え方か、なども考えられる


いずれか100%ではなく、その比率の問題だとしても、

それはどのような比率なのか、考察が必要だろう


人間の思考や感情は習慣に縛られたものであり環境に対する反応に過ぎないとしても

それならば将来はそのように対応すべきであるから

やはりそのような原理的な考察が必要である


それは心のからくりの説明とも言えるが、そればかりではない

暗黙のうちにどのような価値観を優先しているのかを考察すべきだと思う


たぶんそれが100年後や200年後の人類にとって大切なものになるだろう


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仮定の質問には答えられない?

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仮定の質問には答えられないと

国会で何度も、得意げに、繰り返されているが

なぜ人間の言葉の文法には仮定法があるのだろうか

なぜ子供は「もし」と言うのだろうか

子供が仮定の質問をしたときには親は仮定の質問には答えられないというのだろうか

「もし・・・ならば」「・・・の場合は」と考えるからこそ脳が鍛えられる

数学でも背理法では「もし」を使って論証するし

数学的帰納法でも「もし」を使って論証する

人間は仮定の質問にもきちんと答えられるはずである

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個別の案件には答えられないという答弁もある

しかし個別の案件だけが問題である場合もある

また

数学では矛盾を一個でもあげれば証明が終わるものもある

いずれにしても個別の案件についても答えられるはずであるし答えなければならない

プライバシーとか国家機密とかいう場合には

人権と公共の利益の比率を考慮する必要がある

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“頭の悪い人は文脈から読み取れない。だから単語の議論をする”

“頭の悪い人は文脈から読み取れない。だから単語の議論をする”


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“昔、女子高生に、「ダウンロードしたらコピーしてみんなに広まるってのが昭和の発想だよね。それ、クラスみんなが同じ曲に興味持ってる前提じゃないと成立しないじゃん。今、みんな自分の好きな曲しか聞いてないもん。」とバッサリ”

“昔、女子高生に、「ダウンロードしたらコピーしてみんなに広まるってのが昭和の発想だよね。それ、クラスみんなが同じ曲に興味持ってる前提じゃないと成立しないじゃん。今、みんな自分の好きな曲しか聞いてないもん。」とバッサリ”


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“宇宙の話聞いてると明日仕事いかなくてもいいんじゃないのかなって思っちゃうよね”

“宇宙の話聞いてると明日仕事いかなくてもいいんじゃないのかなって思っちゃうよね”


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“4社転職した経験からいいますと、その全てで「社会人としての常識」は互換性がありませんでした。”

“4社転職した経験からいいますと、その全てで「社会人としての常識」は互換性がありませんでした。”


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“# 平気で生きる事、これが一番難しい。「いつ死んでもええ」というのは悟りではない。悟りとは、平気で生きる事。”

“# 平気で生きる事、これが一番難しい。「いつ死んでもええ」というのは悟りではない。悟りとは、平気で生きる事。”


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“それはさておき、子供を躾ける時は 「君は努力家だから、 毎日二時間くらいの勉強なら出来るだろ?」 って言い続けると、自然と勉強する。 「お前はすぐ怠けるからダメだ、 一日二時間でいいから勉強しろ」 って言い聞かせると怠ける。 ってのを、親や上司になる人は 覚えておくといいですよ。”

“それはさておき、子供を躾ける時は
「君は努力家だから、
毎日二時間くらいの勉強なら出来るだろ?」
って言い続けると、自然と勉強する。
「お前はすぐ怠けるからダメだ、
一日二時間でいいから勉強しろ」
って言い聞かせると怠ける。
ってのを、親や上司になる人は
覚えておくといいですよ。”


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“スポーツのいい所は実は、努力して結果を出す事ではなく、本物に会って自分の限界を知る事。どうにもならない差をはっきりと認めた上で、自分には何ができるのかと考えるきっかけをもらえる。社会に出て驚いたのは思ったより自分の範囲を知らない人が多い事。範囲の外まで努力をして鬱になる人も多い。”

“スポーツのいい所は実は、努力して結果を出す事ではなく、本物に会って自分の限界を知る事。どうにもならない差をはっきりと認めた上で、自分には何ができるのかと考えるきっかけをもらえる。社会に出て驚いたのは思ったより自分の範囲を知らない人が多い事。範囲の外まで努力をして鬱になる人も多い。”


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“【雑草】 知識が乏しいために、名前を言うことが出来ない、多くの草。 (新明解国語辞書)”

“【雑草】 知識が乏しいために、名前を言うことが出来ない、多くの草。 (新明解国語辞書)”


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“松竹梅ってのが大切でね、別に梅だからって手を抜いてるわけじゃなくて、ちゃんと仕事はしてるしお客様に満足頂ける100%だけど、もっと金を出してくれたら、もっと良い物を見せまっせ。と言うのがプロですと最初の会社で教わりました。”

“松竹梅ってのが大切でね、別に梅だからって手を抜いてるわけじゃなくて、ちゃんと仕事はしてるしお客様に満足頂ける100%だけど、もっと金を出してくれたら、もっと良い物を見せまっせ。と言うのがプロですと最初の会社で教わりました。”


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“夫婦って、本当に愛しあってる夫婦もいれば 片方だけが破綻しないよう繋ぎとめてる夫婦もいれば お互い興味ないけどチームとしてなりたってる夫婦もいる。 ある老夫婦の奥さんが、お葬式で旦那さんの遺影に 「結局、好きになれんかったわ」 と言っていたのを聞いて、夫婦を全うする凄さを知った。”

“夫婦って、本当に愛しあってる夫婦もいれば
片方だけが破綻しないよう繋ぎとめてる夫婦もいれば
お互い興味ないけどチームとしてなりたってる夫婦もいる。
ある老夫婦の奥さんが、お葬式で旦那さんの遺影に
「結局、好きになれんかったわ」
と言っていたのを聞いて、夫婦を全うする凄さを知った。”


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“見すぎ、読みすぎ、聴きすぎ、調べすぎだもん。  消化できる分量を超えた情報を入力して、腹を壊して、  やっと生煮えの出力をしているのが現代の人でしょう。”

“見すぎ、読みすぎ、聴きすぎ、調べすぎだもん。  消化できる分量を超えた情報を入力して、腹を壊して、  やっと生煮えの出力をしているのが現代の人でしょう。”


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“下品な人が下品な服装、行動をとるのは、これは正しい選択であって下品ではない。しかし下品な人が、身にそぐわない上品なものをつけているのは下品である。また、上品な人が、その上品さを自分で知っているのは下品である。反対に、下品な人が、自分の下品さに気付いていることは上品である。” 田辺聖子著『上機嫌な言葉366日』

“下品な人が下品な服装、行動をとるのは、これは正しい選択であって下品ではない。しかし下品な人が、身にそぐわない上品なものをつけているのは下品である。また、上品な人が、その上品さを自分で知っているのは下品である。反対に、下品な人が、自分の下品さに気付いていることは上品である。”
田辺聖子著『上機嫌な言葉366日』


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