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美少女はむろん自分が美少女であることを知っている

美少女はむろん自分が美少女であることを知っている
そしてそのピークが17歳で
あとはその思い出を糧に生きるだけなのだと知っている

そのことを知っているがゆえの美しさに
老人は見とれている

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物語の結末

物語というものは、
あるいは文章というものは、書物の形で提供される限り、結末があり、
その結末に向かって流れる、意識の動きであるということができる

現代のブログなどはそのような結末はなく
ただ毎日がある

ーー
人生には死という結末があるので物語に似ている
必ず最後のページがあり、
そこから逆算するとすべてのエピソードに意味が与えられる

また人生を生きている途中の立場から言えば
人生はブログに似ている
最後の結末は知らず
今日一日にしても未来のことはわからない
ただ現在があるだけである

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マインドフルネスについて 瞑想 明視 済んだ心

先日アメリカの小説を翻訳している人から相談を受けた

現在翻訳中の、母親と息子の対話の形の小説で
母親が「マインドフルネス」にまつわり、息子に語る部分があるという

翻訳はカタカナで「マインドフルネス」でいいのか、と質問
「そもそもなぜ名詞形にしてマインドフルネスなのか、マインドフルで充分わかる気もする」など

ーー
マインドフルネスという言葉がこのようにして一般小説の中でも格別の解説もなしに語られる言葉となったことは
不思議な感じもする

簡単に言うと「上の空の反対」

マインドレス、ケアレス、アテンションレスの反対

自分が今どこにいて、何をしているか、何をしようとしているか、まわりにはだれがいるのか、
体温と気温はどうか、風は、天気は、持病の関節痛の具合は、
そばにいる大切な人はリラックスしているか、
などなど、「いまここ」について、上の空にならず、意識を振り向ける、注意を向ける、そういうこと

漢字の言葉に翻訳するのはうまくいかないような気がする

瞑想(コンテンプテーション)の世界に近くて
坐禅で頭がスッキリと澄んで明るくなった状態に似ているだろう

ーーー
マインドフルネス・トレーニングがあって
これは診察室でしばしば行う

自分の身体の状態、精神の状態について、注意深く把握する訓練である

ーーー
ちょっと考えると、不安は忘れたいし、不快感からは逃れたい、
別のことを考えて注意を逸らしたい、という流派もある

しかしマインドフルネスはそうではなくて
現在の不快や不安を含めて、それを大きく包み込むようにして、現在のすべてを知るように努める

ーーー
結局翻訳は「マインドフルネス」として、訳文中で少しずつ説明するとの方針になった

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ヴォネガット創作講座。ストーリーを作るときに。

《創作講座初級篇》

1.赤の他人に時間を使わせた上で、その時間は無駄でなかったと思わせること。

2.男女いずれの読者も応援できるキャラクターを、少なくとも一人は登場させること。

3.例えコップ一杯の水でもいいから、どのキャラクターにも何かを欲しがらせること。

4.どのセンテンスにも二つの役目のどちらかをさせること…登場人物を説明するか、アクションを前に進めるか。

5.なるべく結末近くから話を始めること。

6.サディストになること。どれほど自作の主人公が善良な人物であっても、その身の上に恐ろしい出来事を降り掛からせる――自分が何からできているかを読者に悟らせる為に。

7.ただ一人の読者を喜ばせるように書くこと。つまり、窓を開け放って世界を愛したりすれば、あなたの物語は肺炎に罹ってしまう。

8.なるべく早く、なるべく多くの情報を読者に与えること。サスペンスなぞくそくらえ。何が起きているか、なぜ、どこで起きているかについて、読者が完全に理解を持つ必要がある。たとえゴキブリに最後の何ページかをかじられてしまっても、自分でその物語を締めくくれるように。


ヴォネガット創作講座。ストーリーを作るときに。


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うつの本質について

うつとは何かという話に多分興味があると思う

中心は
失恋とかペットロスとかの抑うつと
うつ病の抑うつがどう違うのか
果たして自分はどちらなのか
というあたりだろう

失恋の延長の失意などは正常反応であって
特に薬は要らないという場合も多いだろう

しかし失恋の場合にうつ病の始まりだった場合、
またはすでにうつ病が始まっていて、その過程で失恋があった場合もあるだろう 
(うつ病の場合には対人関係もうまくいかない場合が多いので、うつ病が原因で失恋してしまうということはないことではない)

正常の抑うつ反応と
うつ病の抑うつがどう違うのか
古くは生気的抑うつというような言葉が用いられ
最近では正常との連続も言われ
むしろスペクトラムというようなとらえ方が提唱されてもいる

そうなると正常と異常の切れ目はますます曖昧になる
では精神科医は何をもって判断しているのか

持続期間と症状の種類・数なのか

最近では
ラミクタールの登場と一致して多くの精神科医が
あなたはうつ病じゃなくて本当は双極性障害かもしれないなどと言い始めている
これは何を意味しているのだろうか

このような極端な方向転換は真に科学的な態度をとっている場合には起こりようがない
ここまでは事実、ここからは推測、そのように区別して
さらには自分の体験というものもエビデンスレベルを考慮しながら
正確に評価するならば
こんなにも極端な方向転換は起こるはずがないものである

地動説から天動説へというのは歴史上あったことで
それについては従来クーンのパラダイム論などで引用されてきたことではあるのだが
そのようなパラダイムシフトが起こる状況は私の定義では科学ではなく宗教である

天動説でも、少なくとも、どの時間にどの星がどこに存在するのか
その事実関係については間違いなく科学として確実な部分を持っていた
ただその全体の説明について変更があったというだけに近いだろう
観測事実について、また将来予想について、その部分には
客観性も確保されていたし、事実は事実として確実に保存していた
だからこそこ地動説が証明できた

前提を共有し、実験の方法を共有すれば、同じ結果を得ることができる

これによって狂信者も妄想者も虚言者も退けることができる

製薬会社は宣伝だけで血糖値が変化するものではないことを知っている
しかし製薬会社は宣伝だけでうつ病の診断が双極性に変化し
かつてアクチベーションなどと言われていた現象は
パーソナリティ障害と関係付けられ、さらには双極性障害と関係付けられて、
印象としては、まったく、どのようにでも操作されていることも知っている

かつての自分の説をさっさと忘れて、新しい旗を振っている人もいる
それは一体何を意味しているのだろうか

かつて観察した星の位置をあっさりとずらしてしまうような
暴挙だと思う

しかしNHKが宣伝すればそれて圧倒的に流れが決まる

いったい人々は何をしているのだろう

実際、現状ではうつも躁も単極性も双極性も混乱の中にある
整合性なく、原理原則なく、したがって、
誰かが間違っていることを立証するのも困難である

レセプターがどうしたとか言っている人たちも実際は
レセプターと格闘しているわけではなくて
統計数字を下請けに出しているだけだ

天国の第一峠に座しているのはプロメテウスと10年くらい言い続けて
最近はあっさりとクロノスだと宣伝しているようなものだろう

少なくとも、反証可能性を確保しておかなければ科学的言明とは言えないのだと
ポパーがリンツのチョコレートを食べながら語ったものだが
そんなことも資本の力動は押し流してしまう

波長を測定することができないので
ある人が自分には青に見えるといえば
そこから先は議論が止まってしまう
そのような状況に喩えられなくもない

そこで知的誠実さを期待したいが
それを持ち出すのも場違いだろう
素朴すぎる
もちろん知的誠実さの原理に従って欲しい
しかしそれが現実に難しいのだと知った人は
次の現実的な方法を考えなければならないだろう

その意味では
うつ病とは何か、うつ病をいかに診断するか
そして抗うつ剤をどのように位置づけるか
捨て去るとして反省はあるのか
についても考えたい

抗うつ剤ははもう今は使わないんです
という人がいたとして
その人のこの10年はなんだったのか
また10年すれば
新しい薬を信奉しているのだろうと思う

時代が変わっても変わらない真実の部分は何か
解釈で変更される部分は何か
そのくらいはきちんと区別して
そのうえで何が仮説であるか、何が事実であるか、区別しておけば
こんなにひどいことにはならないだろうと思う

ーーーーー
そのように語った上で、薬剤よりもさらに絶望的なのが
精神療法の世界である

彼らにとって客観的世界とはどこにあるのだろう
客観的世界などないという哲学的倒錯をいつまで言い張るつもりだろう

いや、それ以上に、何も考えないのかもしれない
考えるものではなく信じるものだと説教されそうである

そしてそれがある意味で人間の本質であるから
なかなか問題は手強い

ーーーーー
一般国民は知的にも感情的にも中学生程度の成熟度で
コマーシャルはそのように作っていて成功するし
大衆操作とはそのようなものとよく言われる

そしてさらに病気になれば判断力も曇るだろうし
周囲の人も理性的な人は見守るだろうが
反理性的な一部の人は元気になって
なにか言い続けるだろうと思う

そのようにして事態は悪化してゆく

そこには希望はない

そこが人間の脳の袋小路なのだろうと思う



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被害妄想をいだく人にいきなり加害者だと指定された場合

被害妄想をいだく人にいきなり加害者だと指定された場合
どう対処したらいいのか
皆さん困っている

当面はどうしようもないようだ

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私利を去り、まことをこめてこの魂が満たされる道を行く

今後、日本がたどった発展の航跡は、遅れてくる国々にもたどられますやろ。そして、いつかはそうした国 に追いつかれ、追い抜かれることもあるんかもしれまへん。けどそのとき、思い出してほしいのだす。その昔、日本画貧しくひ弱く小さかった時代に、決して儲 けた金額を誇るためにはあらず、また私人の利益や富のためでもなしに、ひたすら国家のために、次の時代のために、誰に恥じることない王道を行き、自ら子孫 に誇れる実業の仕事に生きようとした人たちがおりましたことを。

日本が最後に世界で勝つとしたら、そういうことだす。私利を去り、まことをこめてこの魂が満たされる道を行く。全員が盗人や詐欺師やと自嘲なさったお国の方もおられましたけんど、私ら日本人は、ただ正直に、慎ましく、地道にこの道を進むことやないでっしゃろか。


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人前でのスピーチを怖れる理由とその克服法

“気分がアガること、ワクワクすることを何でもやってみることです。たとえば、プレゼンテーションの前に、エクササイズをするとか、よく笑うなど。また、インスピレーションを与えてくれるような音楽、元気になる音楽を聴くのもいいでしょう。”
心理面からアプローチ! 人前でのスピーチを怖れる理由とその克服法 


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「自分は自分の生の主宰者ではない」

“「何年か前、財布がほとんど底をつき、陸にはかくべつ興味をひくものもなかったので、ちょっとばかり船に乗って水の世界を見物してこようかと思った。」
これはメルヴィルの『白鯨』の始まりである。
すばらしい書き出しである。
「ちょっとばかり」船に乗ったせいで、イシュメールはエイハブ船長が海底に呑み込まれてゆくまでの巨大な物語の証人になる。
私たちはそんなふうに仕事を始めるものなのだ。
私は自分がどうして今こんなところでこんな仕事をしているのか、その理由を知らない。
きっかけは私が(ちょっとばかり)望んだことだけれど、後のほとんどは私のコントロールしえない力に押し流されてのことである。
もし、仕事をすることが「自分は自分の生の主宰者ではない」という事実を端的に思い知らされる経験であるとしたら、それはほとんど信仰に似ている。”


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幼稚園児や小学生に 「人から誰にも言ってはいけないといわれた事は、必ずお父さんかお母さんだけにいいなさい」

幼稚園児や小学生に
「人から誰にも言ってはいけないといわれた事は、必ずお父さんかお母さんだけにいいなさい」


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油脂

古くから狩猟、採集で得られた動植物の油脂は灯火用、食用として世界中で使われてきました。食用油脂としての日本での記録は739年(天平11年)。正倉院文書に見られるゴマ油が最古で、唐との交流の中で渡来したものとされています。
時を経て多種多様になった食用油脂は、その原料となる素材によって植物性油脂と動物性油脂に大別され、更に常温で液状の「油」と個体の「脂(脂肪)」に分けられます。
植物性油脂は、植物種子から搾るダイズ油、ナタネ油、綿実(メンジツ)油、ゴマ油などと、植物果肉から搾るオリーブオイル(オリーブ油)、パーム油などがあり、液状が主流ですが、半固体油(パーム油)や、固体脂(ヤシ油)などもあります。
動物油脂には、牛脂(タローまたはヘット)、豚脂(ラード)、羊脂、乳脂、鶏脂など陸上動物からのものと、水生動物からの魚油(イワシ、サバ、ニシンなど)がありますが、魚油は不飽和脂肪酸を多く含み安定性に劣るため、業務用の加工油脂原料として用いられることが多いようです(水素を加えて硬化させた後、精製する)。
油糧原料から油を圧搾もしくは抽出した後(これを粗油と呼びます)、揚げ物や生食に好ましくない様々な不純物を除去し、精製します。精製工程では脱ガム(油に含まれる不純物。ネバつくことから由来)、脱酸、脱色、脱臭等が行われ、この工程を経たものを「精製油」と呼びますが、オリーブオイルやゴマ油などは独特の香りや風味を活かすため、ろ過などによる不純物の除去に留めているものが多いようです。


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アメリカ空軍が撮影した高度1万メートル上空からのキノコ雲。 キノコ雲よりもトルネードの方が黒いのは、爆発によって形成された放射性物質を吸い上げているからだ。このキノコ雲は排気と吸引の機能を持っている巨大な掃除機と考えられる。電気ではなく、原子力で作動した最初の掃除機だ。 多くの瓦礫と死体、そして元安川の水を大量に吸引した。 これが後の黒い雨となって落下した。 ヒロシマに川がなければ、もっと被爆者は少なかっただろう。

アメリカ空軍が撮影した高度1万メートル上空からのキノコ雲。 キノコ雲よりもトルネードの方が黒いのは、爆発によって形成された放射性物質を吸い上げているからだ。このキノコ雲は排気と吸引の機能を持っている巨大な掃除機と考えられる。電気ではなく、原子力で作動した最初の掃除機だ。 多くの瓦礫と死体、そして元安川の水を大量に吸引した。 これが後の黒い雨となって落下した。 ヒロシマに川がなければ、もっと被爆者は少なかっただろう。



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“「省略の美」こそ最高の美 すぐれた浮世絵師は「一色抜く」ことをしたそう。この色を最後に加えれば作品が完璧になるというときに、 あえてその一色を加えない。 すると、作品がかえって引き立つ。 間や空間、静けさや淡いものに美しさや洗練を感じる日本人の美意識のなせる業で、私たちはもともと押すよりも引く、加えるよりも抜くことを美しいと感じる美学をもっている。

“「省略の美」こそ最高の美

すぐれた浮世絵師は「一色抜く」ことをしたそう。この色を最後に加えれば作品が完璧になるというときに、

あえてその一色を加えない。
すると、作品がかえって引き立つ。

間や空間、静けさや淡いものに美しさや洗練を感じる日本人の美意識のなせる業で、私たちはもともと押すよりも引く、加えるよりも抜くことを美しいと感じる美学をもっている。 


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“自分探しをする人は一人かくれんぼを未だに続けてるだけだよ”

“自分探しをする人は一人かくれんぼを未だに続けてるだけだよ”

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“男女ともに、「配偶者が○○してくれたら、全て丸く収まるのに」っていう、 相手任せばかりの思考で自分を省みないと、いつか破綻するよ”

“男女ともに、「配偶者が○○してくれたら、全て丸く収まるのに」っていう、 相手任せばかりの思考で自分を省みないと、いつか破綻するよ”

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“私たちの生き方には二通りしかない。奇跡など全く起こらないかのように生きるか、すべてが奇跡であるかのように生きるかである。 (Albert Einstein)”

“私たちの生き方には二通りしかない。奇跡など全く起こらないかのように生きるか、すべてが奇跡であるかのように生きるかである。 (Albert Einstein)”

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“『闇金ウシジマくん』によると、若いサラリーマンたちがぱっとしない現状からの脱出を夢見るときに、まず手に取るのが自己啓発本だそうです(マンガって役に立つなあ)。「革命本」を手に取らないところが成熟資本主義社会ですね。”

“『闇金ウシジマくん』によると、若いサラリーマンたちがぱっとしない現状からの脱出を夢見るときに、まず手に取るのが自己啓発本だそうです(マンガって役に立つなあ)。「革命本」を手に取らないところが成熟資本主義社会ですね。”

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“偏見は無知からではなく、中途半端な知識から生まれる。”

“偏見は無知からではなく、中途半端な知識から生まれる。”

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“ただ戦争はよくないって学校で習ったからそうなんだって信じてるだけの人は、学校が戦争して国の為に死ぬのが名誉って教えたらそれ信じちゃう戦時中と同じだよ。”

“ただ戦争はよくないって学校で習ったからそうなんだって信じてるだけの人は、学校が戦争して国の為に死ぬのが名誉って教えたらそれ信じちゃう戦時中と同じだよ。”

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“昔、アメリカでこんな話があった。 ある母親が、中学生の娘が、夜によく外出するのに気付き、どこに行っているのか尋ねると、娘が言うには、数学の宿題が出来なくて困っていた時、近所に数学の偉い先生がいると聞いたことがあるのを思い出し、ためしに、その先生の家に行って、数学の宿題を手伝ってもらえないかと頼んでみたら、喜んで教えてくれたのだが、その教え方が学校の先生よりずっと分り易いし、いつでも来ていいと言うので、宿題が出来ない時はその先生のところに行っているのだという。 そして、その先生の名を聞いて、母親は卒倒しか

“昔、アメリカでこんな話があった。
ある母親が、中学生の娘が、夜によく外出するのに気付き、どこに行っているのか尋ねると、娘が言うには、数学の宿題が出来なくて困っていた時、近所に数学の偉い先生がいると聞いたことがあるのを思い出し、ためしに、その先生の家に行って、数学の宿題を手伝ってもらえないかと頼んでみたら、喜んで教えてくれたのだが、その教え方が学校の先生よりずっと分り易いし、いつでも来ていいと言うので、宿題が出来ない時はその先生のところに行っているのだという。
そして、その先生の名を聞いて、母親は卒倒しかけた。当時、アメリカに亡命していた、アルベルト・アインシュタイン博士であった。
すぐに母親はアインシュタイン博士のところに謝罪に行ったが、アインシュタインは「いえ、私の方が多く教わっていたのです」と答えたという。”


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“ニューヨークの友人から。アメリカのジャーナリストが不思議がっていた、と。「なぜ日本の新聞は、独自で放射能の数値を測って、紙面に公表しないのか?政府や東電が嘘をついた、と後で言うくらいなら、なぜそれぞれが独自に自分たちが調べないのか。何のための報道機関なのか」と。本当にそうです。”

“ニューヨークの友人から。アメリカのジャーナリストが不思議がっていた、と。「なぜ日本の新聞は、独自で放射能の数値を測って、紙面に公表しないのか?政府や東電が嘘をついた、と後で言うくらいなら、なぜそれぞれが独自に自分たちが調べないのか。何のための報道機関なのか」と。本当にそうです。”

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“ オヤジには私生活がない。だからカジュアルファッションも存在しない。極めてロジカルなりゆきだ。”

“ オヤジには私生活がない。だからカジュアルファッションも存在しない。極めてロジカルなりゆきだ。”

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新しい告白方法。

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“「すべてを自分でやろうとするのは、人に本音を言えない弱さだよ。」”

“「すべてを自分でやろうとするのは、人に本音を言えない弱さだよ。」”

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文学している場合ではないのだ。

村上春樹の空論。

毒矢に刺さって苦しむ子供がいる。
そこに医者たちがやって来て論じはじめる。
一体この毒矢を射た者は誰か。
なぜ毒矢は射られたのか。
この毒矢の刺さった子供は誰の子で名前は何か。
身長はいくつで何歳か。
また、刺さった矢はどんな材質の弓で射られたのか。
そして矢じりの材質は何で、その矢についてる毒は何か。

喧々諤々と、その苦しみ悶える子供の前で分析し、論じる。
その空しい論議をしている間に子供は息を絶える。

本当は医者には一切の言葉は不要だったのだ。
一切の論議は封印してすぐにでも矢を引き抜き苦しみから解放しなけばならない。

釈迦はその行為を『無記』と言った。
記、とはさしずめ論じる、あるいは分析すると解釈すればいいだろう。

だが今、この切迫した地獄の中でうめき苦しむ者たちの前で、つまり毒矢の刺さった老人や子供の前で、政治家、評論家、作家、はたまたコメンテーターと、あまりにわかった風な空論がかまびすしい。
とりあえず分析や論議の前に無言のまま駆けつけ、一刻も早く体に刺さった毒矢を抜くことが先決だ。
ひとりの人がひとりの人の体に刺さった毒矢を抜くことしか出来ないかも知れない。
大きな状況は変えることは出来ないのかも知れない。
だがその無記の行為は百万の高邁な論理に勝る。

“文学している場合ではないのだ。”

“「核の被害をこうむった唯一のわたしたち日本人は核に反対すべきだった。だが今日本は世界第三位の原発大国だ。なぜそのような結果になったかというと、それは効率優先社会というものが作用している」

このステロタイプな分析が世界に名だたる作家の言葉かと耳を疑う。

日本の地獄とはあまりにも遠く離れた安全圏の中での分析が空しい。

彼はもうこの過酷な現実世界の中で”生きて”はいないのではないかと一読者として残念に思う。

いやしくも表現者たるもの、地獄の片鱗にでも触れて語るべきだろう。

そこに片足を突っ込み、地獄の中で毒矢に射られた者たちの心を知るには時には同じ線量いっぱい吸い込み、いかなる無記が可能なのか、それを探しまわる必要も生じようというもの。”


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Love is never to say sorry.

20歳くらいのときにエリック・シーガルという人の『ラブストーリー』という恋愛小説とその映画化が大ヒットしたことがあった。

前にも書いたことがあるが、そのときのキャッチフレーズが

Love is never to say sorry.

というのである。

これを配給会社は「愛とは後悔しないこと」と訳した。

「愛とは後悔しないこと」では、「とにかく後先考えずに情熱に身を任せて突っ走れ」というふうに誰でも理解するだろう。

しかし、意味はまったく違うのである。

この台詞は、身分違いの貧家の娘と結婚した息子を勘当にした大富豪の父親が、夭逝したその娘の葬儀のときに数年ぶりにあった息子に、お悔やみとともに、「I’m sorry」と言うのに対して、息子が顔も見ずに返す言葉なのである。

「もし、あなたが私を愛していたのであれば、あとになって『すまぬ』などと言うような行為をするはずがない。つまり、あなたは息子である私を昔もいまも愛してなどいないのである」という、これは絶縁の言葉なのである。

「愛」というのは、あとで「ごめん」といわねばならないような仕儀に立ち入らないように、一瞬たりとも気を緩めないほどにはりつめた対人関係のことである、ということを私はこのとき学んで、「おおお」と目からウロコを落としたのである。

「愛する」とういうのは「相手の努力で私が快適になる」ような人間関係のことではなく、「私の努力で相手が快適になる」ような人間関係のことなのである。



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これはシンプルだが、本質的な疑問だよね

“原子力に夢を抱いて研究者になった小出裕章先生が原発に疑問を持ったきっかけは、ある原発建設地の地元民から「こんな田舎になぜ原発を作るのか。どうして東京に作れないのか」と問われ、それに対する論理的な回答がついに見出せなかった事からだそうだ。これはシンプルだが、本質的な疑問だよね。”

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救いが欲しいなら預言者か救世主に聞け

救いが欲しいなら預言者か救世主に聞け、と語ったのは『職業としての学問』のマックス・ウェーバー。

学問がこんにち専門的に従事されるべき「職業」としてもろもろの事実的関連の自覚および認識を役目とするものであり、したがってそれは救いや啓示をもたらす占術者や予言者の贈りものや世界の意味に関する賢人や哲学者の瞑想の産物ではないということは、もとよりこんにちの歴史的情況の不可避的事実であって、われわれは自己に忠実であるかぎりこれを否定することができない。そして、もしここにふたたびかのトルストイがあらわれて、学問がそれをなしえない以上は、例の「われわれはいったいなにをなすべきか、またいかにわれわれは生きるべきか」という問い - あるいは今夜ここで使われたことばでいうならば「あい争っている神々のいずれかにわれわれは仕えるべきか、またもしそれがこれらの神とはまったく違ったものであるとすれば、いったいそれはなにものであるか」という問い - に答えるものはだれかとたずねたならば、そのとき諸君は答えるべきである。それはただ予言者か救世主だけである、と。(マックスウェーバー, 尾高邦雄『職業としての学問』, 岩波文庫, 1980, p65-66)

予言者や煽動家に向かっては普通「街頭に出て、公衆に説け」といわれる。というのは、つまりそこで批判が可能だからである。これに反して、かれの批判者ではなくかれの傾聴者にだけ面して立つ教室では、予言者や煽動家としてのかれは沈黙し、これにかわって教師としてのかれが語るのでなければならない。もし教師たるものがこうした事情、つまり学生たちが定められた課程を修了するためにはかれの講義に出席しなければならないということや、また教室には批判者の目をもってかれにたいするなんぴともいないということなどを利用して、それが教師の使命であるにもかかわらず、自分の知識や学問上の経験を聴講者らに役立たせるかわりに、自分の政治的見解をかれらに押しつけようとしたならば、わたくしはそれは教師として無責任きわまることだと思う。(マックスウェーバー, 尾高邦雄『職業としての学問』, 岩波文庫, 1980, p50)

要するに、こんにち一部の青年たちが犯している誤りは、たとえば以上のような議論にたいして、「それはそうだろうが、しかしわれわれはただの分析や事実の確定ではないなにかあるものを体験したくて講義に出ているのだ」というふうに答えるばあい、かれらは講義者のなかに、そこにかれらにたいして立っている人ではない別のある人 - つまり教師ではなく指導者 - をもとめていることにあるのである。ところが、われわれが教壇に立つのは教師としてのみである。教えることと指導することとは別の事柄であり、そしてこのことは少し考えてみればすぐわかることである。(マックスウェーバー, 尾高邦雄『職業としての学問』, 岩波文庫, 1980, p57-58)



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