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うつ病、双極性障害、発達障害、アスペルガーなどでも SSTを

うつ病、双極性障害、発達障害、アスペルガーなどでも
SSTを考えてみたいと思う

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他人の心を知る方法

他人の心を知る方法

他人の心が今どう動いているか、
何を考え、何を感じているかを知ることは
対人関係を営むにあたり
本質的に重要である

他人の心を知る方法にも発展段階がある

(1)
まず一番原始的には
「そんな場合自分ならどう感じるか、どう考えるか」と
自分の心に尋ねる方法がある
それは当然だろう


ここで躓く人というのもいないのだが
自分の心と他人の心が随分違うなあと
気がついた時点である程度の躓きである 心の理論とかミラー・セルとかこの次元の話である 発達障害の場合は 自分の心を参照しても他人の心がわかるようにはならないので (3)の項目で述べる、他人の心の推定法を学ぶ必要がある もちろんある程度の知能が必要である むしろ、これができるかどうかで、Mental Retardation なのか PDDなのか区別もできるだろう

(2)
次に自分の心と

母親の心は違うのではないかと気がつく
これはなんとも残酷で深遠な発見なのだけれども
多分誰もが発見することだろう
ここですでに躓く人もいて
母子分離ができない


(3)
次の段階は社会全般にはどう考えるかなとという
発想になる
これは簡単に言うと現代国語の問題である

現代国語で独自の世界観を発揮してしまう人がいて
本人は問題のほうが悪いとか思うらしいが
それは現代国語というもののルールを知らないのだろう
筆者が何を考えたか、感じたかではなく
問われているのは
「出題者はどんな答えを想定しているか」
であり

「出題者は、頭の悪い人はこんなふうに間違うだろう」
と考えるのだろうからそれは選ばない
そんな具合なのだが
その場合の一応の基準が「社会全般」である


問題の体裁は「問題分の筆者はどう考えたか」という問になっているが
実際は「出題者はどう答えて欲しがっているか」に過ぎない

それなのに「俺は悪魔だから世界は破滅すればいい」とか考えても門前払いなのである


(4)
次には特殊集団の準拠思考があるので
その事を考えに入れて
今この人はこう考えているだろうなとか

推定するのである

頭の良い人は複雑で独自なものだが
頭の悪い人はだいたい同じように間違うものなのである

それもだいたい類別化できるものだ

だから、その人の心の拠り所というか
自分は何に属しているかという部分
アイデンティティとか準拠集団とか

そのあたりを把握しておけば
その人がどんな場面でどんな優先順位で物を考えるのか

だいたい想像できるようになる

そのアイデンティティのあり方は細分化できるし
複合化ももできるので
かなりファインに推定が可能になる

(5)
ここまでは価値判断を含まない
倫理を含まない推定であったが
もう一段進めて
やや説教臭くて
おばさん臭いのだけれども
自分なりの価値判断を含んだ推定というものも成立する
これは価値の問題なので
「推定が間違っていたとしても、私に悔いはいない」
という次元のもので
一種の伝道者である





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ヒト卵巣の幹細胞から卵子、定説覆す 米研究

【2月27日 AFP】女性の卵巣内から卵子を作る幹細胞を取り出し、卵母細胞に成長させることに成功したと、米マサチューセッツ総合病院(Massachusetts General Hospital)生殖生物学ビンセントセンター(Vincent Center for Reproductive Biology)のジョナサン・ティリー(Jonathan Tilly)所長率いる研究チームが26日、発表した。なんとしても赤ちゃんが欲しい女性たちに、いつの日か恩恵をもたらす画期的な研究となるかもしれない。

 これまで1人の女性が持つ卵子数は有限と考えられてきた。ティリー氏は「過去50~60年にわたって有力だった定説は、女性は誕生した時点で卵子の『口座残高』を与えられ、それ以降に卵子が作られることはないというものだった。成人した女性たちはやがて卵子を使い切り、更年期に入ると卵巣機能が低下すると考えられてきた」と説明する。

 だが今回、卵子が卵巣の前駆細胞から補充され続けているとの理論によって、この定説が覆されたと研究チームは述べている。

■8年前の研究で激しい批判浴びる

 ティリー氏は8年前、「残高」説の反証を試み、メスのほ乳類が成体となった後も卵子を作る細胞を製造し続けていることを示唆する研究を発表した。

 この理論は激しい批判を浴びた。科学者らは実験の精度を問題視したり、実験用マウスによる研究に過ぎないとして結論を無価値と断じるなどした。

 だがティリー氏は、最新の研究で自説が正しかったことが確認されただけでなく、さらに新たな事実が分かったと話す。

■マウスに移植した卵巣組織で卵子の製造に成功

 今回、研究チームは中国の科学者の業績をもとに、卵母細胞になる幹細胞の側面に位置するタンパク質の「ハンドル」に引っかかる抗体を使ってこの幹細胞を特定し、緑色蛍光タンパク質で幹細胞にタグ付けをした。それをヒトから採取された卵巣組織に注入し、マウスの皮下に移植した。

 14日以内に、この移植部には未成熟の卵母細胞が生じていたが、一部の卵子は緑色蛍光タンパク質で発光しており、幹細胞由来であることが確認された。ティリー氏は、培養皿で卵子が成長する様子を低速度撮影された動画で見たとき、「腕が総毛立った」と述べている。

■将来は卵子作る幹細胞の貯蔵が可能に?

 今後、卵子の生存能力を確かめるなど追加研究が必要だ。また、幹細胞から卵母細胞が生じる際のホルモンその他の機能が果たす役割については、ほとんど分かっていない。

 それでも、この研究結果はとても広範囲に影響を及ぼすだろうとティリー氏は指摘する。「いつか、ヒトの卵子を無限に確保できる日が来るかもしれない。そういった可能性の扉を開く研究だ」

 マサチューセッツ総合病院の声明によると、既にティリー氏率いる研究チームは、卵母細胞を作る幹細胞を冷凍保存して女性が赤ちゃんを欲しくなったときにそこから取り出すという、細胞バンクのアイデアを検討し始めているという。ヒトの卵子は極度に繊細で、冷凍・解凍の際に損傷を受ける可能性が高いが、卵子を作り出す幹細胞についてはこのリスクがないという。

 女性の高齢出産化が進む現代社会だが、過去の研究では出産年齢女性の10人に1人に卵巣の早期老化リスクがあることが示されている。(c)AFP

ーーーーー
これができると本当にすごい世界になる


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鹿児島県トカラ列島・悪石島

 2009年7月22日、日本本土では46年ぶりとなる皆既日食 (日蝕) が訪れ、位置の関係で今世紀最長の6分25秒という皆既日食となる鹿児島県トカラ列島・悪石島に天文ファンや夏休みを迎えた家族連れが多数上陸。

 この島で皆既日食観測を正規に楽しむには、高額の旅行ツアー (1人34万円以上) に参加申し込みをしなくてはならず、さらにフェリーや宿泊施設の関係で、多くが1週間から数日に及ぶキャンプ生活を余儀なくされるという過酷なものとなっていました。 離島での水不足による一部参加者によるトラブルの発生や、ツアーに参加せず不法に上陸する人などもあらわれ、日食前から何かと話題になっていました。

 ところが数日前から天候が徐々に悪化。 当日には参加者らの 「晴れてくれ」 の祈りもむなしく暴風雨が襲い、日食寸前の10時38分には局地的な集中豪雨が発生。 天体観測どころか、竜巻の恐れもあるとして避難勧告まででる騒ぎに。 他の場所では曇りながらも観測ができたり、洋上の船舶などでは最高の条件で日食が観測できたこともあり、島に詰め掛けたマスコミの中継班らよるテレビ報道などでこれを知った一部のネット住人は、「これぞまさにメシウマ」「悪石島じゃなく、メシウマ島だ」 などと揶揄する騒ぎに。


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ジプレキサで双極性障害の「躁」「うつ」両症状の適応取得

日本リリー ジプレキサで双極性障害の「躁」「うつ」両症状の適応取得 国内初

公開日時 2012/02/23 05:02

日本イーライリリーは2月22日、非定型抗精神病薬ジプレキサ(一般名:オランザピン)が同日付で、国内初の双極性障害におけるうつ症状の改善で承認を取得したと発表した。ジプレキサは2010年10月に双極性障害の躁症状の改善の適応を取得している。今回のうつ症状の適応の取得で、国内初の双極性障害の躁症状とうつ症状の両方を改善する適応を持つ薬剤となった。

双極性障害(躁うつ病)は「躁」と「うつ」の状態を繰り返す疾患。「躁」では社会的逸脱行為による人間関係や社会的信用の失墜など、長期にわたる社会的困難をもたらすことが多い。「うつ」では自殺企図率がうつ病よりも高いという報告がある。いずれの症状でも患者や家族、社会に大きな影響を及ぼす可能性がある。

双極性障害の治療上の課題には、うつ症状の治療中に躁症状が発現(躁転)したり、躁症状の治療中にうつ症状が発現(うつ転)する、逆の症状の発現が少なくない。これに対してジプレキサは「躁」「うつ」両症状に適応を持つ唯一の双極性障害治療薬となり、新たな治療選択肢となる。

ーーーーー
どうして、統合失調症でも双極うつでも双極躁でも「効く」のか
と考えると
何かが見えてくる。

「改善」「適応」とは何か。
「うつ転」「躁転」とは何か。
「双極」と「単極」はどういう関係なのか。
違う病気なのか、それなら、同じ一つの薬が「効く」とはどういう意味なのか。
同じ病気だから「効く」のか、それならば「同じ病気」とはどういう意味なのか。
「何を」「改善」しているのか。

未だに原因不明。
診断基準は「定期的に」作りなおされる。

ーーーーー
ぱぱ、このテレビ、砂嵐でよく見えないし、音が大きくなったり小さくなったりしているよ

砂嵐はS
音大はBP-M
音小はBP-D

ぱぱはあちこちいじったあとで見事に治しました
もう砂嵐もないし音の大小もありません

子供はいいました
でもぱぱ、何も映らないし、音も出てないよ

いいんだよ、砂嵐がないことに関しての二重盲検無作為化試験で検証されたし
音の大小の変化が無いことも二重盲検無作為化試験で検証されたんだ



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進化論的思考

進化論的思考にまつわるあれこれを書いたところ
マンションの設備点検とかで
ネットが不通になっていて
記録したつもりが全部消えてしまっていた

少しは覚えていたので
簡単に書いたら
またしても無線ランがつながっていなかった事情で消えてしまった

それでもやはりどうしようもなく暇なので書くことにする

ーーー
進化論的思考と考えたのは
生き方の戦略としてどのようなものがいいのかなと考えたことに始まる

書店に生き方指南の本がいつでもたくさんあって
こんなにみんな悩んでいるのかなと不思議に思う

それぞれで主張は違うわけで
ということはどれがどんな場合に正しいのかなどの検証実験ができるはずだと
自然に考える

この場合に、生き方の意味とか価値とかには言及しないでいいことが
進化論的思考のいいところだと思う
時間がたった後に生き残っているのはどれか、これだけである

ハエでもカエルでもDNAの歴史として考えればヒトと同じだけの時間を生きてきたわけで
適応戦略としてはしっかりしているものなのだと思う

人間の場合にはDNAの話の他に脳の話が入ってくるので一挙に複雑になる

DNAの環境への適応については数字に置き換えて計算するということで
利他的行動を説明したりしてかなりの成功をおさめている

進化論的思考は
結局生き残ったもの、子孫を残したものが価値があったという
逆転の発想なのでなかなかすっきりしている

ーーーーー
書き直していると、考えた順番に出てこないので話の流れができない
変な感じ

ーーーーー
どんな生き方がいいのだろうと考えて
たとえば
なるべく楽をして得をする生き方
懸命に努力して成功を大きくする生き方
みんなと仲良くする
なるべく長生きする
一族の繁栄のために尽くす
などがあると思うが
どれがいいのだろうと思い

当然のことだが
これらのテキトーなミックスがいいに違いないと思う
その場その場でやりくりして、一見、原則も何もないように見える

しかしそんなことはない

現実に観察してみると
一貫した原則など持たないヒトの方が
この世界でよく発展していると思う

教会で神について考えたり生き方について考えたりしているヒトよりも
牧師さんの顔色を気にして気に入られているおばさんの方がよく適応しているのだろうと思う

大災害があったとして
生き残るのはきっとそのようなおばさんに違いないと思うのである

ということは、どういうことだろう
よい生き方を実現しているのはおばさんなのである

多分、人生にはいくつかの時期があって、おばさんはその時その時で何か考えてきたはずであるが
周囲からも分かるような一貫性はないだろうと思うのだ

しかしおばさんは人生の細部でいちいち選択をして生きてきたはずで
自分では気がつかないながらも
一貫して流れている上位の原則があるに違いなのである
多分、多くの人には『おばさん的生き方』と表現すれば伝わるのだと思うけれども
それは論語のような短いフレーズにすることもできないような何かだろうと思う

どうしてそれが難しいかは、選択の内容は時と場合によるのであって、
言葉で言えるような普遍的な原則ではないらしいということである
つまり言葉を超えた普遍的な原則

言葉で上手く言えないながらも何かあるのだというあたりを
上位のアルゴリズムと表現しておくとして
おばさんにはたしかに上位のアルゴリズムが内蔵されているのである

嘘をつくのは悪いことだがこの場合にはいい
裏切りは悪いことだがこの場合にはいい
そうしたいちいちをこの上位のアルゴリズムが決定しているのだろうと思う

ーーーーー
さて、そのような上位のアルゴリズムが
唯一というはずはなくて、多分複数あるのだろう
その中でたぶん選択と淘汰という進化論的メカニズムが作動しているのだろう

そう考えると
脳が内蔵しているアルゴリズムではあるがかなりDNAの側に近いものなのだろうと推定できる

ーーーーー
そこまで考えて、しかし、それらのアルゴリズムも、進化論的にいう限り、脱価値的である

ーーーーー
ある局面でクリティカルに、脳の原則とDNAの原則がぶつかることがあると思うが
上位のアルゴリズムはそれも多分クリアー済みだろうと思う
あるいは、悩んでも、一晩も続かない

そのような健康なアルゴリズムである

ーーーーー
ハエやカエルも歴史の中で人間と同じ時間、生き残って現在に至るのだから
大変に強い原理がDNAに内蔵されているのだと思う
まあ、正確には、環境が根本的なところで変化がなかったということなのだろう

ところが人間の場合にはここ最近で大幅に変化があって
これまでの生存戦略で大丈夫なのかと考えさせられるところはある

基本四つ足の構造なのに二本足になったり
出産が困難なのに脳が大きくなったり
そのほかにもいろいろ矛盾が噴出している

それは基本設計をそのまま使わずに
応用的に使おうとしていることに原因があるのではないかと思う

脳の仕組みなどもそうで、徹底的につぎはぎで、古いものを何回も流用して使い回ししようというもののようで
一度思い切って基本設計から変更した方がいいのにと思うが
古い資産を使い続けるという観点から見れば不連続なこともできないという
最近のPCのソフトのような話になっている

ーーーーー
適応戦略の話でいえば
最近は好きなことを専門にしない生き方の方が意味があるのではないかという話を聞いた
たとえば美術の才能とか音楽の才能とか学問の才能とかがあるとして
現代ではそれらをマーケットにのせることで生活費に変えることができる
マーケットはマーケットの都合があるのでいろいろと制約が付けられる
映画の脚本を書くときには
主役の人気が出るようにどうしろとか
スポンサーの意向に配慮しろとか
15分に一回は何かをどうかしろとか
いろいろとあって、その条件の中で話を作るので
全くもってひどい妥協の産物なのだと嘆きを聞いている

音楽もそうで、売れる音楽を作るということ自体大変なことだけれども、
自分の書きたいのはそういうやつではないといっても、
周囲はそれを許さない
ヒットメーカーである限り、ヒット作を書かないといけないし、
周囲は、作家の高尚な趣味なんかに付き合ってはいられない

そんななかで、最近のP2Pの動きである
趣味の合う人同士が共有すればお金もかからない
会社が存在しなくてもいいし、音楽会社の社員は存在しなくてもいい

資本主義とは関係なしに
勝手に作って勝手に共有して楽しむ
これは大変健全なのではないかと思う

生活費は別に考えればいいのであって
所有している山林から稀少元素が出たり
すれば問題は解決である



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「若者が職に就けるように年配者は身を引かなければならない」は間違いである

採録 
 
経済が成長するためには、就労人口を増やすか生産性を上げるかしかない。働かない市民への支出を膨らませる社会が、真の意味で繁栄を続けることなどあり得ないのだ。
「若者が職に就けるように年配者は身を引かなければならない」
経済学者であれば、この理論における欠陥を見抜くだろう。ケラウェイ氏の記事は「世の中には一定量の仕事しか存在しない」という考え方に基づいている。この概念は、経済学で「労働塊の誤謬」と呼ばれているものだ。かつては女性の社会進出を阻む口実として持ち出された。今日でも、反移民の立場を取る政治家が、移民は国内の仕事を奪う脅威だとしてこの理論を利用している。

 では高齢層の就業が若年層の就職を妨げないのはなぜか。それは女性が社会に出ても男性が職にあぶれないのと同じ理由である。生計のために働く時、人は収入を得る。そしてそのお金で、他者が生み出した商品やサービスを購入する。この場合の「他者」を構成しているのは老若男女のすべてである。

 就業パターンもまた変化する。かつては大半が農業に従事していた。だがトラクターやコンバインが登場しても、失業状態が永遠に続いたわけではない。人々は、まず製造業で、次にサービス業で、就職先を見つけた。しかも60代の人間は30代の時にしていた仕事には就かないかもしれない。

高齢者が早期に退職した場合、彼らは若い世代に依存することになる。国から困窮者向けの給付金を受けている層と同じことが、実は、個人年金の給付を受けている層についても言える。年金の資金を生み出す株式配当や債券利息の支払いに必要な収益を、労働者に依存しているからだ。

 実際、企業年金基金が赤字に陥っている理由の1つは、度重なる早期退職プログラムにある。これは“見せかけの節約“の典型的な例だ。短期的に給与の支払額は減少したが、長期にわたる年金コストは増加してしまった。同プログラムを導入した企業は、80年代、90年代のような高収益の年金運用を期待して、長期の年金コストを賄えると考えていた。

ーーーーー
しかしながら高齢者が若者よりも上級職にいることが多く
そのことが状況を悪くしていると思う

若者が年配者を上手く使えるものかというと簡単ではない


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ステマ ステルスマーケティング 利用者に宣伝と気づかれないようにこっそり宣伝行為をすること

採録


 年明け早々、グルメサイト「食べログ」を舞台にやらせ書き込み投稿騒動がきっかけとなり、すっかり今年の流行語大賞の候補に躍り出ることになったのが「ステマ」というキーワードでしょう。「ステマ」とはステルスマーケティングの略語で、利用者に宣伝と気づかれないようにこっそり宣伝行為をすること。レーダーに映りにくい仕組みになっているステルス戦闘機をイメージすれば分かりやすいかもしれません。

 本来、雑誌やニュースサイトの記事広告は「PR」や「AD」と明記され読者に広告であることが分かりやすくなっていたり、テレビのコマーシャル枠が明確に番組枠と分離されていたりします。広告や宣伝行為は読者や視聴者に分かるようにするべき、というのがメディアや広告業界における暗黙のルールと言えます。

暗黙のルールを破っている恥ずべき手法

 だからこそ、宣伝を宣伝と分からないように実施するやらせやステルスマーケティングは、この暗黙のルールを破っている恥ずべき手法。企業がお金を払って掲載している広告であるにも関わらず、いかにもそのメディア自体の意見のように雑誌やニュースサイトに掲載されていたら、消費者は当然その記事を第三者であるメディアの意見だと思って読むことになるわけです。

 もしも、その製品を実際に購入し、記事の内容と乖離した製品であることが判明し、さらに実は第三者であるメディアの意見だと思っていた記事が企業がお金を払って掲載していた広告だと判明すれば、怒りの矛先はメディア、そして消費者を騙した宣伝行為を展開した企業にも向けられます。極端に言えば、メディアは消費者に対する詐欺行為に荷担したことにもなるわけですから、非常に大きな問題なのです。

 そういう意味で、従来、マスメディアにおいては、こうした問題が発生しないよう、いわゆるジャーナリズム精神の元に、広告の明示や、広告と編集の分離を強く意識してきました。今回の「食べログやらせ投稿」の報道においても、やらせ投稿を代行していた事業者のみならず、ある意味被害者であるはずの食べログ自体に対しても、テレビや新聞がかなり厳しい批判的な姿勢を取る背景には、こうした意識が反映されていると言えるでしょう。

食べログには倫理は存在しない?

 マスマーケティングの時代においては、メディアの数がそもそも限られていました。もし悪質な広告代理店や事業者が、やらせ行為を代行しようとしても、メディア側が拒否すれば広告が掲載されることはなかったわけです。メディアである食べログが、襟を正していれば今回のような、やらせ騒動は起こるはずがないではないか、というのがマスメディアの記者の方々の印象でしょう。

 ただ、残念ながら食べログのようなクチコミサイトや、ソーシャルメディアの世界においては、情報発信者であるメディアの数や、そこに書き込める人の数が無限に増えてしまっていますから、記者倫理やジャーナリズム精神のようなものが最初から存在し得ません。

誰でもメディアを作れて、誰でも情報発信できるという、このいわゆるメディアのロングテール化こそが、クチコミサイトやソーシャルメディアの魅力。残念ながらこのやらせ投稿の問題は、メディア側だけで解決できる問題ではなくなってしまっているのです。

 電子メールのスパム問題が根本的に解決されないように、やらせ行為が低コストで実施できるようになっている以上、クチコミサイトとやらせ投稿代行事業者の戦いはいたちごっこになるのは目に見えています。

 象徴と言えるのは、先日放映されたワールドビジネスサテライトに出演していた、やらせ投稿代行事業者の「ニーズがある限り、やらせ投稿ビジネスを続けます」という趣旨の発言でしょう。オレオレ詐欺がなかなか減らないように、こうした姿勢の事業者がいる限り、やらせ行為もまたなかなかなくなりません。

ーーーーー
NHKなんかでも
最近の医療の進歩とかNスペで紹介されて
医療機械の紹介番組みたいになっていることはしばしばである


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wintry smile wintry soul

to warm your wintry soul

なんて言うんだが
余計なお世話でしょう

でも wintry という言葉は何となくいいな

wintry smile で 冷淡な微笑 とのこと



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manieとmomey

一年の半分をアメリカで過ごしている先輩が言っていたのだが
manieとmomeyはほとんど同じで耳ではわかんないかもとか

確かに考えてみれば
躁病とお金の関係は深い

本を読みたくなったら図書館に行けば大してお金はかからないのに
あれこれ買うものだから借金ができる

英語の勉強もいろいろと方法はあるのに英会話学校に前金で申し込んでしまう
スポーツするのに基本お金はかからないと思うのだが道具、ウェア、ジム、クラブなど大金を使う
美容整形などもそうだしエステなんかもそのようだ
30万円くらいで最初に契約してしまう
風俗関係なども躁病の人が行ってお金を使ったりするのだろうが借金を作る人も多い
借金してでも通わせるというのが商売の方法らしい
不動産なども多分そうだろう
独立起業するとかもそうだろう
だからそういう人を狙った不動産屋とかコンサルタントとか東京にはたくさんいる

ちやほやして、あとで溺れた犬を棒で叩く

気分の波があるのだから躁病のうちにうつ病の期間の分まで支払ってもらうわけだ
そうすれば適当な時期にうつ病になってくれて引きこもってくれるので手間がかからない

いろいろな躁病があるのだけれど
一部の人は何かしようと発想が浮かんだらまずお金を使う
そしてうつ病になってサービスを使いきらないで終わる

一部の産業はそのような人を当てにしている
ひょっとしたら資本主義というメカニズムは躁病をあてにして5%を計算しているのだろう

愛も名誉も誠実さもお金に換算して考える傾向もある
貯金、偏差値、国民総生産、なんとか指数と数字にして具体的に把握したがるのも彼らの傾向である

近代科学は計測して数字に変換してそこから数学というのが決まりだが
躁病の人たちにぴったりの世界である

ーーー
日本で言えば単極性と双極性の分布か少し偏っているのではないかとの話は昔からあって
南のほうに行くほど双極性の傾向らしいのだが
実際にそうなのか、またなぜそうなのかよくわからない
遺伝子のセレクションの問題なのか
ある種の環境が躁病の症状を出やすくしているのか

アメリカの精神療法の映像などを見ると、どう見ても躁病みたいな人が出ていて
話を聞いているとうつ病が治って「元の通り、普通に元気に」暮らしている人なのだという
元気を通り越していると思うのだけれどこれが文化の違いなのだろう

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次はない

年をとると
次がない

もう一度やってみますよ
と、ど根性を出すこともできない

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思いやりがないというのは症状ではないのかな

朝にはある程度寒くて乾燥しているので
布団の中がぬくぬくとしていて
肌触りがさらさらしていて
とてもいい感じなのだけれど
時間なので起き上がって社会人になる

いいことだ
隣の部屋の人も何か物音がするので
朝の支度をしているらしい

そんなわけで電車に乗っていると
うつ病は症状なのに
思いやりがないとか
意地悪だとか
嘘つきだとかは
症状ではないのだろうか
なんて思いながら 
春のサインを探している



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若い自分との不連続の感覚

年をとって思うのだけれども
若い自分と現在の自分が本当に連続したものなのかという気分は
かなりある

長い時間ということも一つだけれども
境遇が大きく変わったということも一つだろうし
後半になるほど忙しくて内省が乏しくなっていることも関係しているだろう

年をとった今では内省など無意味だと平気で言える

しかし何かの機会に自分が昔暮らしていたあたりを通りかかったりする
季節によっては花を見かけて何かの場面を思い出す
それは自分なのかと不思議な思いにとらわれる

ーーー
今日、スポーツに打ち込んでいる大学生と話した
自分の息子にはこんなふうになってもらえばいいなと思ったものだ
そんなことを思う自分もまた過去と不連続である

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著作権法

著作権法についてはいろいろと変なところも言われていて
要するにミッキーマウスの著作権が切れそうになるとなんどでも延長されているとか
JASRACのおかしな話とかあるのだけれども
要するに
作家やミュージシャンが困るのではなくて
その取り巻きが困るのだと思う
こまるのは出版会社とかJASRACだけかもしれない
http://www.youtube.com/watch?v=I5anNWJkw08 

著作権で利権を死守しているわけだから
理屈も何もない
すべては生活のためだというなら、それはそれで放置すればいいと思う

才能がある人は別の形になってもなにかクリエイトすればいいだけなので
何も昔のものにいつまでもこだわる必要もない
借金があるくらいのほうがどんどん仕事ができる

ーーー
考えてみれば著作権は自然の権利ではない
猿が芋のなにか新しい食べ方を思いついたとして
それを教えるから金をよこせなんて言うケースがあるだろうか
あるはずがない
そんなものは文化ではない

才能のあるクリエイターは
お金よりリスペクトが欲しいだろう

料理の切り方とか焼き方・煮方に特許があると聞いたことはないが
たとえば医学の世界では薬剤に特許はあるけれども
手術の仕方とか褥瘡の治し方とかに特許はない
薬剤の特許に関しては
特許延長の微妙な仕方とか、特許に触れない程度での改変とか、特許込みで会社を買ってしまうとか
会社ぐるみ、アメリカじ込の策謀が展開されていて興味深い

CD会社の作ったCDを流してみんなで歌うならばそのお礼をしてもいいと思うが
それはCDに対して代金を支払うということだろう
図書館でCDやDVDを買う場合には貸し出しして多くの人が鑑賞する事を前提にして
通常販売よりも高額の代金を支払っている
もちろん、税金から

何人か集まって手拍子を打ちながら何かの歌を歌った場合
著作権問題はどうなるのだろう

替え歌を歌う場合も問題になる

そのような、自然に発生する模倣をどこまで権利として考えるかという点で言えば
監視の技術と最終的にはその背後にある暴力的な権力装置の問題なのだろうと思う
そこまで一気に極端に到達するのもよくないが
視界としてはそうなるのだろうと思う

ーー
リナックスとマイクロソフトの関係ではないが
著作権フリーの文化だけで随分いい文化ができると思う

著作権フリーのものを素人が生産して素人が享受すればいい
素人を軽視してはいけない
著作権フリーのものをどんどん共有して公開し合えばいいと思う

著作権を中心にしてその管理や流通を仕事としている
つまらない人達を養わなくていいのだから
とてもいい文化になると思う

それで食べている人がいて
それがその人の生涯をかけた仕事なのだから
尊重しないといけない
できれば、そのひとに、本当に誇れる仕事を斡旋してあげたい

いままでは才能のある素人がいても
プロがそれを囲い込んで商売の種にしていたように思う
いままではそれはそれで仕方がなかった

これから
著作権をリスペクトして
きちんと保護してあげよう
有料ミッキーマウスはそれはそれでいいではないか
音楽だってお金を取りたい人はいるだろうし払いたい人もいるだろうからそれはそれでいい
握手券のためのCDであっても音楽業界の人はがっかりしたりはしないらしい
そういう文化もあって、それも含んで我々の文化なのだと広い心で包含しよう

本人たちが手を付けないでというのだからその部分には手を付けないで
素人が作る良い文化をどんどん流通させたいものだ
素人には別に本業があって生活はそれで間に合う
素人が欲しいのはお金ではなくて拍手だし意見である

ーーーーー
http://shinagawa-lunch.blog.so-net.ne.jp/2010-04-24-4



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光トポグラフィーや血液検査で精神病を診断 NHK

光トポグラフィーや血液検査で精神病を診断
というのも意味はあるんですが
それが旧来の診断カテゴリーをそのまま診断するというのならば
元々の診断法が正しいのだから
無駄なような気がする

旧来の診断法ではっきりしなかったカテゴリーが
新しくもたらされるというのならば意味はあり
さらにその場合に治療法が違うなどとなると有意義なものになる
しかしそんなものでもない

新しい診断法で診断するとして
それが古い診断と一致するというのならば
結局古い診断が正しいわけだろう

ーーー
旧来診断でA,B,Cと診断されたグループを集めて
光トポグラフィーで特徴を検討して
診断するわけだけれども
それならば元々の診断が正しいわけで
元々の診断で用が足りるでしょう

見逃しということもある
本当は双極性障害だったけれども
躁病に気がつかなかったということもあるかもしれれない

しかし話はそれほど簡単ではない
生まれてはじめから単極性、双極性と固定していて、シゾフレニーも固定していると考えないと
話がうまくいかない

25歳まで単極性で経過して26歳から双極性になったという場合
単に診断が間違っていたのか
途中から疾病の性質に変化があったのか、そこはまだはっきりしていない

検査とか診断は現在の状態を確定するものなのか
それとも潜在的に持続的に内在する傾向について確定するものなのか
はっきりしない

経過診断と現在症診断はそれぞれに弱みがある

気質診断や遺伝に基づく診断などはもう少し基底部にある部分の診断なのであるが
光トポグラフィーやある種の血液診断がこういった多様な診断のレベルの
どのあたりをとらえるものなのかと言うことも今後の問題だろう

ーーーーー
「双極性障害をうつ病と誤診していた」なんて簡単に言うのだけれども
二つがどう違うのか「Nスペ」や「ためしてガッテン」系のチャラチャラ系は当然説明できないだろう
NHKでも「きょうの健康」のチームは比較的真面目でよいと思うが
彼らに双極性とうつ病の「違い」を聞いてみたらいい

昔は躁うつ病が基本で、うつ病はその中で躁病がないものの事だった。
だから単極性とも言った。
うつ病は双極性の特殊系だと考えられていた。

ところがある時期から遺伝研究がずんずん進んで
双極性と単極性は遺伝子が違うらしいと言い始めた。
それならば、特殊形と言うよりは、元々別の病気なのかなと思い始めた。

しかしその場合でも問題は残り、
双極性のうつ病フェーズのうつ病と
単極性のうつ病は同じなのか
という問題である。

違うという意見はあって、それは微妙な違いに属するのだけれども、
うつ病の非定型性とか、産褥期うつ病とか、持続期間、反復回数、初発年齢など
また一番大きいのは
発揚性気質とか循環気質とか精力性とかと呼ばれている
気質診断の領域である

ーーーーー
双極性障害と単極性うつ病で誤診の問題があるというのだけれども
両者の本質が分かっていない、関係が分かっていない、治療も分かっていない、今後変わってしまう可能性も大きい、
分かっているという人もいるけれども一人で分かっているだけで説得力はない、

さらにまた、うつ病だといわれてうつ病の治療を受けてきた、
それなのに双極性障害と診断された
それならば今での治療で治るわけがない
などというのであるが
それもまた不正確である 

双極性障害に単極性うつ病の治療をしても部分的には有効である
双極性障害の症状の大部分はうつ病なのだからうつ病の治療がきくことは当然である
ラピッドサイクラーになるとかそんなことはあるけれども、
今までずっとうつから解放されなかったというのであるから
ラピッドサイクラーではないはずだ


最近は各種病気の治療薬の相乗りがますます盛んになってきていて
統合失調症の薬を躁病やうつ病に使う
てんかんの薬を躁病やうつ病に使う
うつ病の薬を統合失調症に使う

こうしたところから
病気というものは、元々違うものなのではなくて、同じものの別の時期を見ているのではないかとの
疑いもある
最初はみんなうつ病に似ている
最後ははみんな認知症に似ている
その中間部で色々と特徴がある
でもその特徴にどれだけの意味があるのか
疑問である

もちろん
このそれぞれで
抗うつ剤の会社は抗うつ剤を売りたい
新規抗てんかん薬の会社はそれを売りたい
新規抗精神病薬の会社はそれを売りたい

脳に電極を入れたり
脳を電磁波で刺激したり(つまり電子レンジ状態にする、携帯電話でもできる)
そんなことはさてどうなのだろうか

愛する夫がそのような治療を受けるとして賛成するだろうか
うつがたとえ治らないとしても危険をおかすことはやめて下さいと妻の気持ちとしてはそうではないだろうか

例えば自分の夫がマイクタイソンみたいな人で
怖くて仕方がないという場合
頭に電極を入れるくらいは許されるかもしれない
頭蓋骨の外側から電磁波を送り部分的に刺激することも許されるかもしれない
しかしそれがどういう結果になるかはだれも保証してくれない
つまりどうなったとしても、いまよりはまし、という判断だろう
それってどうなんでしょう

ーーーーー
脳血流量を測定しているというが
それでは単純に逆立ちしたり
脚を高くして寝たらいいだろうか
あるいはうつぶせ寝をすることで
前頭葉の血流を保持できるかもしれない
仰向けに寝るのは一番損な感じはする 
一番は逆立ちですね、決まり

いや、そうではなくて、代謝の活発さが問題というのなら
そこだけ活発にする方法もある

いやそうではなくて
その部分を抑制したり促進したりする部分の活動調整だろうといえば
それは広く考えると脳の全体がプラスとマイナスで入り乱れる事になる

 ーーーーー
むやみにグルコースを使っていることがいいことだとも言えないだろう
必要なとき必要な期間、休息をとって充電することは大切だ
そもそも人生にも生命にも関係のないNHKの撮影にどのくらい協力するかなんて
何の保証もない

ーーーーー
光トポグラティーでは
かなりひどい見逃しとかを防ぐことは出来るでしょうね
という具合である

ーーーーー
光トポグラフィーではこれまで研究で蓄えられてきたすべての結果を総合して
先行研究を無力にする形で
光トポグラフィーだけがあればいいのだとは言わないだろう

では
既往歴と光トポグラフィーの所見が食い違うとき
既往歴が間違いだと言うのだろうか

そんなはずはないのであって
食い違いには興味深い事実が潜んでいるに違いないから時間をかけて研究しようということになる

ーーーーー
核磁気刺激法はもう機械そのものの販売を伸ばして開発資金を回収しないといけないのだろう。
そのための販売促進ビデオだったのだろう。

ずっと昔の反省は、ただ遠くでこだましている。



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うつ病系統と躁病系統の非対称性の理由

うつ病系統と躁病系統が完全に対称的に記述されていないでしょう

一見すると合理的ではないのだけれど
よく考えると非対称的でいいのだと個人的には思う
理由はDAM理論だ

大うつ病 小うつ病 気分変調症 dysthymic

躁病 軽躁病 多幸気分 気分循環症



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蘭の鉢植えがあって
一年を超して次の年に花を咲かせるかどうか
毎年気になっている

水やりとか日当たりは大体一定しているので
たぶんもともとその蘭のDNAが環境に適していたかどうかなのだろうと思う

今年の蘭もとても元気で
根というのか茎というのか不思議なものがどんどん延びいていて
鉢の外にまで遠征している

この分なら夏くらいまで行くかなと話していて
そういえば去年も、冬を生き延びたらいいなあとお世話をしていて
見事に冬を生き延びて良かったと喜んでいたら
春から梅雨にかけて枯れていったような記憶がある

難しそうな処を切り抜けた後
最期の処が肝心だと
徒然草に素朴に書いてある

最後のところが肝心だと言うことは
人間の心理的要素を加えてみれば
そこが一番難しいのだということなのだろう

やれやれ、ほっとしたな、と思ったときに
最悪のことが進行しているわけだ

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形から入って心を作る

宗教団体、会社、学校、体育会、
それぞれに精神があり
特に宗教団体などは表向き心の問題を扱う
実際は会計処理に時間を割いているようではあるが

そのような場合
不思議なことにまず
身体を集団に同調させることから
はじめることが多いようだ

身体同調から心理同調に至るのだろう

つまり心理はその程度に身体的であるということになる

ーーーーー
俳優の仕事は役柄の心理を深く理解するところが問題になる
そのためにはまず形から入る
体を動かして、外形的な事実として身体が役柄をなぞれば、心理も役柄をなぞることになるのだ

行動は外側に突き出た精神そのものである

ーーーーー
認知行動療法の一側面がこれだろうと思う

規則正しい生活をしているうちに
精神が規則正しく秩序を維持するようになる

外側の生活が安定すれば
精神が安定する

対人関係が安定すれば
精神が安定する

歩調をあわせて行進するから軍隊になり
チームとしての一体感が生まれ仲間意識が生まれる

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ISD条項

ISDS条項またはISD条項

カナダの製薬会社アポテックス社は、NAFTA第11章に基づき、アメリカ合衆国裁判所の連邦法解釈の誤りによって、NAFTA第1102条(内国民待遇)及び第1105条(国際法に沿った待遇の最低基準[13])違反が生じていると主張して争った。アポテックス社はまた、ファイザー社勝訴とした問題の合衆国裁判所判決は、抗うつ剤「ゾロフト」の後発品へのアポテックス社の投資に対するNAFTA第1110条の収用に当たるものであって、明らかに不当であると主張した[14]。


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人生は愉しいものなのか

最近の私のブログを見ていて
面白くもなんともないので
後輩は
自分が西表島・イリオモテジマに行った時の写真があるので
これを見て元気を出して、出来ればなんかの投票を頼むとかの事だった

確かにすごいです
ダイバーでもないし写真家でもないし
それなのにこんな写真をオリジナルで撮影しているんだから

で、こうして見せてもらうと、それだけで充分、という気がするんだ

私が自分でイリオモテジマに行ったとして
天気がいいかどうか分かんないし
私、海に潜るなんてできそうにないし
根性出して海底を散策する元気もないかもしれないし
もういい年なんだし
いろいろリスクを勘案すると
こうして写真を見せてもらって
ぐっと人生の経験が深まって広がって、それでいいよもう

何かしたいことないのかとか言われる
別に何もない
テレビ番組ですごいと思うのは世界遺産とかそんなやつだけど
自分で行っても私は眼が悪いし
体調管理が難しいから
ハイビジョン映像を見ているくらいで充分幸せである

直接経験すれば詩のひとつでもできるのかもしれないが
別にそんなことのために生きているのでもないし

パリの石畳の感触がどうとかそんなこと

たぶんpeak experience とかと関係するのだと思うけれど
それは別に旅行なんかしなくても日常生活の中で工夫していけばいいことだし
それもなければないで不都合なく生きて行かれるものだ

不思議が見たいとか多様性に驚嘆したいというならば
人々の人生や感情を日々見ているので
ここの写真と同じくらい不思議な感じはしている

人間の脳がどうなっているのかというと
いろんな経験を圧縮してタイトルを付けてそれに多少のタグを付けて収納しておいて
必要に応じて引き出してきて
経験と経験の内的関連を考察して
深く納得する
というプロセスなんだと思う
それでいうと、物事を抽象的に考える場合には
考える素材がある程度抽象的に圧縮された形で与えられても同じ程度ではないかという気がする

実際に自分が経験したことはあまりよくないことも多いので
そこらへんの関係で生きる意欲が今ひとつなのかもしれない

自分で経験したことなのか夢なのか本で読んだことなのか映画で見たことなのか
なんて迷うことがあったりして
でも最終的にはどれかなんてあまり関係ないと思う

間接的体験の変なところはそれが自然そのものではなくて
何れにしても加工されている点だ
だから多少の嘘なんだと思う
しかしまあ、ひどい捏造でなければ、それでもいいだろう

難病で生まれ世界をほとんど経験しないで死んでゆく子供たちがいる
それに比較すればいろんな人の話が聞けるしいろんな物を食べられるし
ありがたいことだと思うけれども
時間が少し違うだけでそんなに本質的には違わないような気もする

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高次症状

症状の成り立ちを考える場合に
どれだけ低次で要素的な症状か
あるいとどれだけ複合的で高次な症状か
を考えるわけでしょう

たとえば状況意味失認などという症状は高次で複合的なものだと思う
そのような高次で複合的な症状が定型的に広く発生するとは考えにくいし
起こったとしてもそれは結果であって
原因というか、基本症状とは考えにくいわけだ

ーーー
他人の気持ちがわからないとか
そんな「症状」もやはり高次の機能だろう

他人の気持ちがわかる細胞または他人の気持ちがわかる領域に血液を運んでいる血管
または他人の気持ちがわかる領域の神経細胞を結合している特異的な脳神経伝達物質
などなど、いろいろと考えにくい

他人の気持ちが自然にわかるというのは
電話でいえば、普通に電話ができるということで、
それができない時は、電話機の故障かもしれないし、電線が悪いのかもしれないし、
基地局の問題かもしれないし、本局のマネージメントが悪いのかもしれない。
どれが悪くても最終的には電話が通じないという共通の最終的な「症状」になる

ミラーセルとか言うのであるが、さて、どうしたもの

ーーーーー
場所による症状なのか病理による症状なのか
高次症状の場合には複合的に症状が成立しているはずで
責任病巣や責任病理もはっきりしない性格のはずだろうと思う

ーーーーー
学校の柔道の授業で事故の可能性があるとのことで大外刈は禁止にするとかの報道があった

政治経済的に問題視されているのは大外刈ではなくて柔整の存在である

そして最近話題になった脳脊髄液減少症がある

柔整で病気のメカニズムについてこう言われたと患者は私に報告する

ナイーヴな人なのだろうという判断には役立つのでお話は拝聴し
私は他人の悪口は言わない主義なので誰のどんなことにもノーコメントであるが
この場面でこの話をしたらこの人は何を思うだろうかという予測がないものなのか
他人の気持ちのわからなさを全面展開してみせてくれる
それは実に不思議なものだ

ーーーーー
そんなに信用していて、私にも話して聞かせたいくらい素晴らしいのなら、その人にずっとすべてをお願いすれば
いいだろうと思うが、そうでもないような理由もあるらしい

ーーーーー
たとえば他人の気持ちがわかるではなくて
失読とか
数の概念がないとか
そのあたりの発達の障害ならば
なんとなく要素的な問題のような気もしないでもない

いろいろな機能要素が全般的に微弱に低下しているのでその中では
対人機能障害のような高次機能の不具合が目立つことになるのだろう

要するに高次で複合的といえば一つの言い方だけれども
もう一つの言い方は広汎で全般的でどんな細かい隙間にも忍び込んでいるようなしつこい機能低下ということだろう

それならば、他の機能よりもまず最高次の機能の障害となることも理解できる

ーーーーー
そして柔整問題は政治的に高次の複合的障害とか言い用がない



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いつか報われる

いつか報われればいいなとは思うけれども
もうそんなに真剣に報われたいとは望んでいない

あまり真剣に考えないで
ぼんやりと報われたらいいなと思うときに
自然に力が出るように思う

報われることよりも
報われたらいいなと軽く思って
現在を生きられることのほうが大事なように思う

未来なんて考えても
みんな死んで全てがなくなるほかないのだから
その意味では意味がないのだけれども
そうではなくて
良い未来を軽く考えて現在を明るくする
それならば意味がある

いつか報われると考えることで
現在すでに報われているのである

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バリー・シュワルツ「知恵の喪失」

http://www.ted.com/talks/barry_schwartz_on_our_loss_of_wisdom.html

規則やマニュアルにどこまで従うか
どの場合に例外とするか

自身がない場合ほど規則にしがみつくだろう
しかしまた、いい加減なほど自分に甘く言い訳をするだろう

場合によってはどの味が美味しいか、どの洋服が素敵かを
自分で判定できないので
ブランドに頼ることになる

どこまでが仲間内の趣味なのか
仲間はどのあたりまでなのかの判断も求められる
じつにややこしい世の中なのである



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